2024年11月21日(木)

WEDGE REPORT

2017年6月9日

演劇と映画に見るアルゼンチン

 象徴的な演劇と映画を一本ずつ見た。

 演劇は、「偉大なる精神錯乱」という大仰な題名の作品で、内容はアルゼンチンを一つの家族に見立てたものだった。妻は美しいドレスを着たブエノス娘、夫は作業服を着た鉄道に勤めるイギリス人だった(もともと南米の鉄道はイギリスの投資事業)。

 妻は浪費の天才で、夫が定年するというのに、隠れて金を借りまくり派手な生活を楽しみ、質実を旨とする彼は、妻の浪費に我慢ならず喧嘩が絶えない。次女は夫につき、長女は母親につき、互いに争って、そのうち借金のおかげでピアノなどの家財道具も売り払らわなければならなくなり、最後は妻も改心するという筋書きだった。

 ヒロインはペロン大統領の妻エバペロン(=エビ―タ)を象徴していた。ペロンは第二次世界大戦後に労働者のためのポピュリズム政策を敷いた左翼独裁政権(1946~55、73~74)で、エビ―タは夫ともに知識人、マスコミ、土地貴族などの金持ちを弾圧し、貧乏な庶子でも贅沢三昧の生活をできることを示し、労働者に夢を与えた。結局ばら撒きの放漫財政で国庫を空にし、その後の20年近い混乱の時代の端緒を作った。

 映画は、「スル」というカンヌ映画祭にも出されたピーノ・ソラーナスの作品だった。描いていたのは、1974~76年のイサベル(=ペロン大統領の後妻。ナイトクラブの踊り子。ペロン死後大統領になったがクーデターで失脚)政権後の新自由主義軍事独裁政権下(1976~82)で、パタゴニアの監獄に何年と収容されていた青年が、恋人の元に戻ってゆく話だった。

 青年の回想と現在が微妙に錯綜し、暗いタンゴの音楽に乗って、「スル(南)」という題名が意味する、パタゴニアの荒れ地とサンテルモの石畳を舞台に、女たちが、恋人や息子や夫に二度と会えないことを宣告する、政府官吏の無言の拒絶や冷酷な言葉に、泣き、わめき、パタゴニアの開発を夢見る老革命家の夫婦が銃弾で蜂の巣になり、主人公の青年は走り、抱き、幽霊たちと語り、拷問は続けられ、そして恋人は、他の男のものになっていた。だが、拷問や虐殺は、軍事政権だけのものではない。

 エビ―タの時代からあったのである。

出口のない悪循環

 「アルゼンチンはいつもいつも同じことの繰り返しで、決してこの連環から出られやしない。全くどうすればいいのかな?」。数年後、リオデジャネイロで知り合ったアルゼンチンの若者の嘆きである。

 この国は新自由主義と労働者向けポピュリズムを交互に繰り返し、国力を劣化させてきた。大まかな歴史概略は次のようになる。

 最初の軍事独裁新自由主義政権は、対外債務、失業、格差、インフレの4悪をばら撒き、イギリスとのマルビーナス戦争(フォークランド戦争)という大博打を打ち、敗北の後に崩壊(1983年)。その後急進党のラウル・アルフォンシンの民主政治に戻り、一時小康を得たが、ポピュリズム的傾向から財政赤字増加、5000%のハイパーインフレ、対外債務デフォルト、崩壊。再びのペロ二ズム政権(1989~99)。

 大統領カルロス・メネムは君子豹変し、新自由主義政策をとり、電話、航空、電力、石油、水道、ガス、鉄道、鉄鋼、年金などを民営化、外資に切り売り。売るものがなくなると不況、政権崩壊、社会混乱、戒厳令、再度の対外債務デフォルト(2001年)。その後、ぺロ二ズム左翼政権のネストル・キルチネル、妻のクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルが続き(2003~2015)、ポピュリズム政治による、お馴染の腐敗、財政赤字、インフレ昂進後選挙に敗北。現在のマウリシオ・マクリ大統領となった。

 この国は70年前から国民は分断されており、悪循環から逃れたことは一度たりともない。なぜだろうか?


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