2024年11月23日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年2月3日

 「危うい中国」が小沢の本音だろう。与党・自由党党首だった1999年、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の「周辺事態の範囲」をめぐって「中国、台湾も入る」と発言して中国を激怒させたことがあった。もともと中国の小沢観は「米国重視」「台湾寄り」「タカ派」「改憲論者」だったが、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題を受けた06年、最大野党代表・小沢は中国と「反小泉」で思惑が一致、「共同戦線」を組むようになったのである。

 さらに興味を引くのは、小沢が「最大の問題は中国」という言い方ではなく、わざわざ「中国問題」と言っていることだ。近く世界第2の経済大国になる中国の台頭という世界情勢の変化を見て、米中が「G2」として連携を強化すれば、日本はつまみ出されるという危機感が対中接近につながっているという側面は確かにある。しかしそれだけではなく、中国が抱える内部矛盾、つまり腐敗、格差、暴動などに代表される「危うい中国」も見抜き、日本としてどう向き合うかを説いているのだ。

 ある日中関係者は「小沢氏は中国を好きか嫌いかの感情論ではなく、必要か必要ではないかの観点からとらえている」と解説する。

「脱亜入欧」からの脱却

 小沢がなぜ「中国問題」にこだわるのだろうか。ヒントとなる発言がある。

 「自民党を出て13年がたった。幕末にペリーが黒船で来航(1853年)してから明治維新(1868年)まで15年。私に残された時間はあと2年だ」。06年に訪中した小沢は、古くからの友人、李淑錚元共産党対外連絡部部長に漏らした。

 あと2年間で政権を奪取する決意を語ったものであり、3年後にその決意は実際に実るわけだが、小沢は09年9月の自民党から民主党への政権交代を、明治維新以来の大改革の時と位置付けている。

 「小沢氏は歴史的観点を持っている」との見方を示すのは「日本通」の中国人研究者だ。

 「明治時代以来、日本は『脱亜入欧』を強め、欧米の基準に合わせてきた。しかし近代以来、日本の問題というのは結局、隣の大国である中国とどう向き合うかという『中国問題』だった。現在、中国が台頭する中で、小沢氏は単に『米国重視』から『中国重視』に転換したのではなく、複雑化する『中国問題』がどれだけ重要かという近代以来のテーマに日本人としてどう取り組むべきか問題提起しているのではないか」。

 日本は近代以降、欧米、特に戦後は米国を通じて中国やアジアの問題に取り組んできた。対中政策は常に、米国の顔色をうかがいながら決めてきた。しかし小沢は今、「脱亜入欧」を脱却し、「米国は米国」「中国は中国」としてそれぞれ正面から取り組む必要性を訴えているのではないか、というのがこの研究者の視点である。これが日米中「二等辺三角形論」というわけだ。

 ここで近代以降の日中関係を振り返っておこう。ちょうど、1月31日に発表された『日中歴史共同研究報告書』で、日本側座長・北岡伸一東大教授による「近代日中関係の発端」と題する論文が掲載されているので一部を引用したい。

 「西洋の衝撃なしには、東アジアの変容はありえなかった」。

 『報告書』の「近現代史総論」は、「西欧との遭遇の重要性という一点については、(日中)双方は共通の認識に達している」と指摘。「西洋の衝撃」に関して「中国においてはアヘン戦争、日本においてはペリー来航と明治維新を始点にしている」と記した。


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