2022年12月6日(火)

“新まちづくり”のキーパーソンたち

2017年7月13日

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 現在の安井さんの「こだわり」の原点はこの体験にあるという。

 丁寧に売ることが楽しくてしょうがなくなった。デカいポップつけて山積みにして安売りしているときは、量しか見ていない。でも商品に気持ちが入って、お客さんに届くとまったく違う反響がある。これは面白いな、と。

 それで実際に食べてみて、自分がおいしいと思うものに力を入れてみたんです。たとえばスーパーや流通では食品を売れ行きで分類する「ABC分析」というのをやっているんですけど、あまり売れないC判定のものはよほどの大規模スーパーにしかない。でも片っ端から仕入れてみて食べると、ちょっと光るものがあったりするんです。

 問屋に聞くと「売れないから50円でいいよ」と言うから、カップラーメンとかヨーグルトを仕入れて「店長おすすめ」として売ってみた。そんなには売れない。売れないんだけど何人かのお客さんがリピーターになって買い続けてくれる。

 でも翌月仕入れようとすると「在庫がなくなったので終売です」と言われてしまうんですね。関東で一番売ったのに、と思っていても、メーカーや問屋側からすると「関東で一番売れないものを売った」にすぎない。小売りやリピーターの思いをどうやってフィードバックすればいいのか、どうすれば生産者と消費者の距離が縮まるのかって考えたのはここからでしたね。

 

 さらに安井さんに転機が訪れる。潤一郎氏がいわゆる「小泉チルドレン」として衆議院議員に立候補し当選してしまったのだ。テナント含めて11店舗のスーパーを継承するかどうか、選択を迫られることになった。

 お店も老朽化してたし、「エブリデーロープライス」なんて言葉まで輸入されてスーパーの利益率は20%を切る時代でした。でも生協やパルシステムみたいな別のシステムは大きく伸びていた時期で、値段とは違うものを求められていることは明らかなのに、「タイムセールをやれ」「店を掃除しろ」みたいな話しか出てこない。いとこもほかの仕事をしていたし、俺ももっと生産者と直でやりたくなっていた。

 3歳から店頭に立った店の全店舗を、安井さんは閉店させることにした。今まで「おぼっちゃん」「若旦那」と呼んでいた取引先は、みな厳しい言葉で売掛金の回収に押し寄せた。

 うちが廃業すれば連鎖倒産しかねないから、当然のことなんです。仕入れで渡した小切手に「裏判を押せ」と言われました。そうすればすぐに銀行で換金できるから。でもそれをやられると倒産するから、土地や建物を売って払うから待ってくださいと一軒ずつ説得しました。話をつけたタイミングでメインの取引先が「明日までに400万円振り込め」と言ってくる。ようやくみんなを説得して算段をつけた話が全部引っくりかえってしまう。そんなことばかりで誰の言葉も耳に入らないし、かなり追いつめられていた。自分のことばかりで家族のことなんて気にする余裕もなかった。

 振込をしたその足で安井さんは、自殺を決意して高いビルに向かっていた。そのとき、奥さんから携帯メールが届く。

 「あなたは幸せですか? 私は幸せです。あなたも同じ気持ちなら嬉しいです」と書いてあったんです。この苦しみは誰にも理解できないと思っていたのに、一番近くにいる人が全部見ていた。それに気づいてから、人生の優先順位が変わったんです。家族のために生きる。それでもう一度計画を見直して、全部きれいに事業清算できたんです。

 大学の夏休みと冬休みには人がいなくなる早稲田の街に見切りをつけて、中野や吉祥寺、杉並あたりで新しい店を開こうとしていた安井さんを、強く引き止めた言葉もあった。

 小さい頃からお世話になっていた近所のおばあちゃんに、「やめちゃうのか。しかたないね。でもね、忘れちゃいけないよ。あんたをおんぶしながらレジに立ってたお母さんの代わりに、あんたのオムツを替えたのは私だよ。この街みんなであんたのオムツを替えたんだからね」と言われたんです。その瞬間に、何が吉祥寺だ、中野だ、って。早稲田でやらなきゃ意味がないだろ、そう思ったんです。

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