たけしの深見評は次のようなものである。
「漫才でいえば、(横山やすし・きよし)のやすしさんのように、ボケもツッコミもできるひとだった。とくに、ツッコミがすごかった。同じコントを劇場の座付きの役者がやっても、ちっともおもしろくない。それはそうだ。落語の同じネタでも志ん生がやるのと、前座がやるのとはまったく違う」
深見が得意とした、官僚や刑事、代議士など権力者が、実は色事が好きだ、というコントのひとつを、たけしは語る。
「『建設省の方から来ました』っていって、娘に『川が氾濫して先にいけませんよ』っていう。岩を踏んでいけばいけます、ってんで自分が寝そべって岩、だという。娘のスカートの中をのぞこうっていうことだ。娘が踏みつけると、『からだの一部が岩になった』という。次におかまがあらわれて、また踏みつけると『今度はあっちに変な岩がある』というのがオチなんだが、これがおもしろくてたまらない」
深見とコントをやっていた、たけしは仲間に誘われて「ボーイズ」ものといわれる歌謡漫談に入る。コントとの縁は切れた。
構成作家を務めていた井上雅義はいう。
「深見師匠は、たけしさんの才能に嫉妬して、放り出したんじゃないかな」
たけしは語る。
「そんなんじゃなかったと思う。コントはできなくなるし、師匠は『漫才なんか誰でもできる』って漫才を認めていなかったし。それでも、漫才しかいくところがなかった」
ツービートの誕生である。
「師匠は、俺がやりたいことを先にやったひと」
たけしは1986年、講談社のフライデー編集部に弟子たちをともなって、殴り込みをかけ傷害罪で逮捕される。交際していたとされる女性の名誉を守ろうとしたのである。1994年には、バイクの自損事故によって頭部に重傷を負う。
「(傷害)事件とバイクの事故で、俺は二度死んだと思っている。なぜか不思議に復活するんだよな。変化しないと、何か新しいことをやっていないとダメだ」
たけしは、そのような自分の姿を深見に重ね合わせる。
「師匠は、俺がやりたいことを先にやったひとだ。踊りも立ち回りもできた。芸人は、芸を持っているということだ。師匠はたくさんの芸を持っていた。俺は、芸人として中途半端なうちに売れた。中途半端だからイライラしているのかもしれない。師匠は芸をなんでも持っていたが売れなかった。たぶんイライラしていただろう。俺のイライラとどっちがいいかっていったら、俺のほうがいいんじゃあないかなぁ」
1983年2月、深見は一人暮らしのアパートでたばこの火の不始末から、焼死した。享年59歳。たけしが弟子として仕えたのは、わずか2年間だった。
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