「罪もごまかしもたくらみも詐欺も、すべて見えないところでひっそり生きているものだ」(ジョセフ・ピューリッツァー)
世界の報道や文学などに栄誉が与えられる「ピューリッツァー賞」に名を残す、新聞経営者にして下院議員だったピューリッツァーの言葉が甦る。
NHKスペシャル「スクープドキュメンタリー 沖縄と核」(9月10日)は、地政学的な危機のなかで、核の問題に過去の「見えないところでひっそり生きているもの」から光を当てる。そこに浮かび上がった事実は、沖縄で核ミサイルの誤射によって米兵が、水爆の模擬攻撃の弾頭によって沖縄の農民が死亡していたことである。
さらに、いまある北朝鮮による危機が想起させる「キューバ危機」(1962年10月)のなかで、沖縄が共産圏に対する核攻撃の最前線となって、一触即発の核戦争の瀬戸際にあったことである。
米国の機密文書や未公開の映像計1500点、米軍のかつての兵士、日米政府と当時の琉球政府の関係者らの証言から、番組は多角的に証拠を積み重ねていく。
亡くなった農家の妻が書き送った米軍への手紙
沖縄の農民の死は、極秘裏に進められていた伊江島の核基地における爆撃訓練によって引き起こされた。1960年のことである。水爆の模擬爆弾・MD-6が戦闘機から投下され、石川清鑑さん(当時28歳)が即死した。
ソ連がキューバに核ミサイル配備したことによって、米ソが核戦争の可能性に直面した「キューバ危機」がきっかけとなって、米は沖縄を極東における核戦略の最重要基地と位置付けた。当初は日本本土に核兵器を配置することも考えたが、唯一の被爆国として国民の反核の世論は強く、当時は米の統治下にあった沖縄が選ばれた。
石川さんが爆死した伊江島は、住民の農地を接収して、核爆弾の爆撃訓練の基地が建設された。反対する住民の住宅はブルドーザーで倒され、畑は焼き払われた。沖縄の人々は核の基地になっていることをいっさい知らされていなかった。
石川さんの妻・ツネ子さんが米軍に書き送った手紙が残っている。
「ばかげた戦争や演習はやめてください。9カ月のこどもを抱えてどのように暮らしていけといわれるのですか」