2023年1月31日(火)

田部康喜のTV読本

2017年9月20日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 核戦争に備えて敵国の核攻撃を迎撃する、ナイキ・ハーキュリーズ核ミサイルの誤射事件が起きたのは1959年6月19日のことである。

 ナイキ部隊の整備担当だった、ロバート・レプキーさん(81歳)は証言する。

 「突然、大きなゴーという音が響いて、ナイキが海に突っ込んでいった。地面には同僚が倒れていた」

 ナイキの点検中に誤って、点火装置のブースターが駆動したのである。兵士ひとりが死んだ。海中に沈んだナイキは引き上げられ、この事故は厳重な機密事項とされた。

 米国の内部文書は次のように記している。

 「核の事故は米国の国際的な地位を脅かす。すべての情報は関係者以外は機密とする」

 事故が起きた地点は、現在の那覇空港である。那覇とは隣接していた。

 ロバートさんは沈痛な表情を浮かべながら、次のように言う。

 「核爆発が起きていれば、那覇が吹っ飛んでいた。沖縄の人々は事故のことを知る権利があると思う」

「ターゲットは中国だった。中国こそが脅威だった」

 「キューバ危機」は、米国の庭先といわれた、フロリダの沖合のキューバを舞台としていただけではなかった。番組は沖縄が隠れた舞台だったことを明らかにした。

 沖縄の核基地は、核戦争の準備段階である「DEFCON2」と指令された。核ミサイル・メースBの司令室にいた、ロバート・オハネソンさん(74歳)は、次のように証言する。

 「ターゲットは中国だった。中国こそが脅威だった」

 中ソは一体の敵とみられていた。「キューバ危機」をきっかけとして、ソ連が核攻撃に出た場合に、沖縄も反撃拠点とされたのである。

 オハネソンさんは、当時を振り返る。

 「司令室の外に出ることを禁じられた」

 司令室の機器の写真が残されている。

 「HOT」。いつでも核弾頭を発射可能な状態である。

 嘉手納基地に勤務していた、ポール・カーペンターさんは当時の指令書を保存していた。最高機密で、沖縄から韓国にプルトニウムを搬送する任務だった。カーペンターさんは、沖縄で知り合った良子さんと結婚していた。

 韓国に向かう航空機のなかで、外をみたとき「家族には二度と会えない」と思ったという。なぜならば、核戦争となれば、沖縄は消滅すると確信したからだ。

 沖縄の本土復帰から45年。米国から施政権を日本に返還する際に結ばれた、「核の密約」についても、番組は新たな証言を得た。

 密約とは、緊急時には沖縄に核を再び持ち込むことと、それに備えて嘉手納、那覇、辺野古の核兵器の格納施設は使用可能な状態に維持することである。

 昨年亡くなった、当時の国防長官だったメルビン・レアードさんは、次のように証言した。

 「我々は日本を守り続けたかった。(核のない)裸の状態の日本で、沖縄に核がおけなくなれば他を探さなければならなかった。(密約の)沖縄は日本政府が決めた。日本政府としてはいえなかったのだろう」と。

 番組の再放送は19日深夜の20日午前0時間10分。再々放送も待たれる。

  
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