2024年12月26日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2017年10月23日

 9月14日付の英エコノミスト誌は、ドゥテルテ比大統領とタクシン元タイ首相を比較して類似するところがあるとし、両者とも貧困者の代弁者としてポピュリズムに訴えて既存の体制に挑戦したが、貧困と不平等の上に支配層が君臨する構造に変化は見えないと言っています。論旨は以下の通りです。

(iStock.com/Artystarty/tkacchuk)

 定期的に選挙が行われ、改革も盛んに語られるが、フィリピンの富の4分3は未だに有力40家族が握り、貧困も深く根付いたままだ。

 もっとも固定した支配層が深刻な不平等の上に君臨するのはフィリピンだけではない。東南アジアの大半の国は、単一政党支配や政治的動揺によって荒廃している。その好例は、王室が支配層に繰られるタイだ。12回の軍事クーデターの目的も、既存の権力構造の維持や保守的思想の醸成だった。

 実際、ドゥテルテは自国の歴代大統領よりタクシン元タイ首相と共通する点が多い。2001年、タクシンは、タイ北部の貧しい農民と自らを重ね合わせることで権力の座に就いた。支配層は彼が人民の側について王室に取って代わろうとしていると恐れ、2006年に彼を失脚させた。一方、ドゥテルテも土地持ちの政治エリートと公然と対決した。

 また、両人とも左翼人士に惹かれてきた。タクシンの顧問には、1976年の軍による学生虐殺事件の生き残りで、その後、共産党反政府勢力に加わった者がおり、ドゥテルテの閣僚には共産党ゲリラだった神父がいる。

 また、ドゥテルテは南部で反政府イスラム勢力との戦いに巻き込まれており、特に軍は、5月にイスラム国系勢力に占拠されたマラウィ市を奪還しようとしている。タクシンもタイ南部で反政府イスラム勢力に対して強硬な方法をとった。

 偶然にも、ドゥテルテの凄惨な麻薬撲滅の戦いのモデルは、2003年にタクシンが行った覚せい剤使用に対する戦いだ。この時は3カ月で2800人が警察や自警団に殺された。ドゥテルテの麻薬撲滅の闘いでは警官や殺し屋によって7000人以上が即決処刑され、犠牲者の多くは小物の薬物使用者か全くの無実だった。

 しかし、タクシンにしても、自分の支持者たちの運命よりも、数十億ドル規模の事業の推進を含む権力追求し、つまり私利私欲が優先するのは明らかだ。妹のインラックの8月の突然の国外逃亡でさえ、財力と野心を持つタクシン兄妹の終わりを告げるものではないかもしれない。

 一方、ドゥテルテも、オリガルヒは脅かされたと思えば逆襲して来るとわかっている筈で、娘と息子をダバオの要職に就け、自らの政治基盤を強化してきた。また、将来、彼はミンダナオで布告したような戒厳令を使って鉄壁の権力基盤を築くのではないかとの見方もある。タイと同様、フィリピンでも旧体制に挑戦するのはまともな民主主義ではなく、ポピュリズムだ。

出典:Economist ‘Will democracy in the Philippines go the way of Thailand?’ (September 14, 2017)
https://www.economist.com/news/asia/21728953-rodrigo-duterte-bears-many-similarities-thaksin-shinawatra-will-democracy-philippines-go


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