●もしかしてケニアの人からは疎んじられていた?
——それは恥ずかしながらわかりませんが、だまされていたことはあります。調査のためには住民の個人情報をみんな登録しないといけない。でも、小学生の名前がどうもうまく一致しなかったんです。いまそのときの小学生をスタッフとして使っているんですが、最近になって教えられた。「あれー、言わなかったですかね、あれはみんな嘘ついてたんですよ」と言われました。変な奴らが村にきていろいろやってる、本名なんか教えたら何されるかわからない、と思っていたそうです。
そんなことも含めて、現場にいってみないとわからないものがあると言いたい。私の場合は、人の行動の重要性がそれでした。それで事が解決できるかどうかは別にして、事の重要性は現場で見えてくる。行かないと見えてこない。熱帯医学研究所にはそういう発想が昔からあったんです。それをぼくは引き継いだだけ。だから、熱帯地に恒久的な研究拠点を作るのが、我々の何十年来の夢だったんです。
5年前にできたのがその夢の施設だった。ケニアの現地の人には「今回は長くいるんだよね」と聞かれました。それまでは長くても2年でした。イギリスの研究者は12年もいるよ、15年もいるよ、それくらいいればなんかわかるんじゃない、と言われました。ショックでした。住むことと訪問は全然違う。住んだとしても外国人にはわからないことはたくさんあるでしょう。でも長くいれば少しはわかってくるはずなんです。
私はたまたま基地ができたときに拠点長にさせてもらって、もう5年たった。大学が外国に拠点を作るのは事務の面でも試行錯誤の連続でした。大学が外国に固定資産をもってはいけない、と言われて、しょうがないからコンテナで部屋を作りました。これは不動産じゃなくて動産です、と言い張りましたね。
いまは、5年間のプロジェクトが終わって、6年間の新しいプロジェクトが始まったところ。私は拠点長の役目から降りて、一研究員として再び住血吸虫症に取り組みたいと思っています。
顧みると、私の師匠はまったくの放置タイプで、若い頃は好きなように研究させてもらいました。だから、もし自分が年を取ったら、若いやつに好きなようにやらせようと思いながら今まできました。だけど、もうそろそろ、また好きなように研究してもいい頃じゃないか、と思うようになりました。
●若いときにやって不完全だったという行動学的アプローチをもっと完全にやるつもりですか?
——実は、そこはいま迷っているところです。ここ25年くらいで、住血吸虫症のいい治療薬ができてきたんですね。WHOがその薬を使って治療していこうという呼びかけをして、世界的に実行が進められています。だけど、それがうまくいくとは限らないし、うまくいったとしても根本の解決にはならない。