まさに人間の力の限界が試される、世界一過酷な競技といわれる所以だ。大雑把な地図上ではあるはずの道が、実際はないことなど当たり前。地図を読み込みながら、コンパスで方向を探って山があれば登り、谷があれば下って急流を渡る。川には、鰐(わに)やピラニアがいることもある。山には猛獣が潜んでいることもある。ブラジルの湿原地帯で行われたレースでは、ジャガーの気配を身近に感じながら前進を続けたという。
「前を行くチームの足跡の上にジャガーの足跡がある。離れちゃダメだって言いながら夜のジャングルを進んだ時は、人間なのに自分たちの存在はエサでしかないという完全な弱者の立場を、生まれて初めて経験しました」
レースによってはゴールまで8日間も要することもある。最初の2日はほぼ不眠で進み、その後も2時間、3時間という短い睡眠をとるのみ。
「起きて歩いて、ナビゲーションもしているのに、全く覚えていない一瞬がありました」
ベテランの田中ですら記憶が飛んでしまうほどの疲労困憊。レースが過酷であればあるほど、完走した時の喜びはひとしおで、ゴール直後の写真はこれ以上ないような最高の笑顔が印象的だ。が、よく見ると、それぞれがどこか怪我をしていたりする。まさに満身創痍で完走した達成感がいかばかりかは、経験がない者には想像することもできない。
初の海外レースで完走
化学系の会社の研究職として平穏なサラリーマン生活を送っていた田中が、なぜかくも過酷なこの道へと舵(かじ)を切ったのか。聞けば、子供の頃は運動神経が鈍い方だったという。しかも埼玉県の市街地の、山も海もない環境で育っている。
「長距離はよかったんですが、中3の時の50メートル走では9秒6で女子の平均以下でした。でもスポーツは嫌いじゃなくて、卓球部に入ってました。そこは埼玉でもトップクラスで、強いから入ったんですが、レギュラーにはなれませんでしたね」
中学卒業後、八王子市にある東京工業高等専門学校に進み、友人に誘われてオリエンテーリング部に入った。オリエンテーリングといえばレクリエーション的な印象があるが、スポーツ競技としてのオリエンテーリングは、極めていくと上位の成績を狙いたくなる。
「上級になると、地図にある道を使わないでチェックポイントまで最短のコースを取るんです。藪漕(やぶこ)ぎといって、道なき道を突き抜けていく。爽快感がありましたね」
社会人になり、研究職として働き始めてからは、地域クラブの多摩オリエンテーリングクラブに所属。
「週末になると山を走っていました。トレイルランニングって言葉はまだなかった頃で、最初は先輩についていけなくてゴミ扱いでしたけどね」