冒険レースを人生の中心に
過酷な上にそんなに向いていないのなら、普通は二度と挑戦しないだろう。だが田中は翌年、職場に退職願を出し、プロアドベンチャーレーサーになると宣言している。
「プロといっても自称プロで、食べていけるわけないので、これを自分の人生のメインにするという意思表示ってことですね」
どういう経緯でそういう意思を持つことになってしまったのか。
「自分のダメな部分を突き付けられて、自分でもそれをわかっていながらこのまま生きていたら、人としてダメだと思ったんです。アドベンチャーレースこそ自分が成長できる場だ! と思い込んじゃったんでしょうね。全く迷いはなかった。基本的に楽天的で、ものを始める時にはいいイメージしか湧いてこないんですよ。そういう意味では、慎重さに欠けるタイプかもしれない」
それはアドベンチャーレース向きの姿勢と気性でもあるかもしれない。しかし、当然ながら先人がいない道は地図すらない。貯金を切り崩しながら生活し、必死でスポンサーを探す。メンバーも探す。生活の基盤も作らなければならない。次々現れるチェックポイントをクリアしなければ先に進めない。
96年には、ボートを1艇買った友人とラフティングツアーを始め、翌年には一緒に「カッパCLUB」というアウトドアツアーの会社を立ち上げて埼玉県から群馬県に移住。同時に挑戦の基盤「チームイーストウインド」を設立している。「レースを目指すメンバーがラフティングガイドをしながら生計を立てられるし、それ自体がトレーニングになる。それに、みなかみ町は山も川も雪もあって、アウトドアスポーツには最適の環境ですから」
貯金が尽きる前に、しっかりと継続的に取り組める基盤を作り上げたということだ。田中のいざという時の計画力、決断力、実行力の証明でもあろう。
田中にとって、もうひとつの難関は苦手なチームプレー、しかも求められているのはチームを引っ張るリーダーの役割である。
リーダーって、一番強くて、経験や知識があって、正しい判断ができて、常にみんなに正確な指示を与えて引っ張る存在だと思って、人一倍勉強したし、トレーニングもしたし、全身全霊で頑張って、ついて来い! と張り切ったんですけどね」