「ジャスミン革命」に冷ややかな知識人
知識人たちはチュニジアやエジプトの動向を中国に重ね合わせてみていた。「微博」では「埃及」(エジプトの意)を検索しても表示されないが、「埃及」を書き込むことは可能だ。「チュニジア、エジプトはどうだ。今年は2011年、(中国王朝体制が倒れた)辛亥(革命百年の)年ではないか」。著名知識人によるこうした書き込みもあった。
人民日報ネット版『人民網』の掲示板「強国論壇」でも、「アフリカの民主運動は中国より30年遅れていたが、アフリカ人民は追いついた。そして中国をはるか後方に置いた」
いくら中国のネット検閲技術が向上しているといえども、共産党の支配するネット空間でさえ、こんな調子である。怒涛のように流れ込むネット世論に検閲は追い付かず、中国でも徐々にではあるが、自由な言論空間が形成されている。
しかし中東情勢に熱いまなざしを向ける知識人たちも「ジャスミン革命」騒動については冷ややかに見ていた。普段、国内で民主や人権擁護を訴え続けた草の根の弁護士や活動家は、「ジャスミン」に関係ないのに事前に拘束され、当局がより高圧な態度に出ることを熟知していたからだ。これらの国内の有力人物と連携しない民主化の動きに限界があるのは言うまでもない。
改革では抑圧を選んだ指導部の危機感
「民」を恐れる「官」は、その危機感を政治改革ではなく、抑圧に重きを置く対応を際立たせている。その現実を端的に表すデータがある。昨年の国内安定維持のための「公共安全」費は前年比8.9%増の5140億元(約6兆4250億円)で、公表ベースで5321億元の国防費に匹敵している。指導部の真の「敵」は「外」ではなく、「内」に存在しているのだ。
中国はエジプトなどと同様、またはそれ以上にインフレや若者の就職難、貧富の格差などが深刻化している。こうした社会矛盾を克服して「和諧社会」を構築するのが胡錦濤政権のスローガンだが、実際には警察権力を行使して不満を抑え付け、伝統メディアを操作して「和諧」という虚構をつくり上げているのが中国の現実だ。こうして中国社会の「安定」は、「維穏」(安定維持)という当局が故意に作った見せ掛けのものとなるわけだ。
「官と民の作られた触れ合い」
今の中国では民衆の不満や怒りが共産党の危機感を促し、政治改革に向かうという官と民の「緊張感あるせめぎ合い」は実現していない。どちらかというと「官と民の作られた触れ合い」を演出していると言った方が正確だろう。