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2021年8月24日

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勝股秀通 (かつまた・ひでみち)

日本大学危機管理学部教授

1983年に読売新聞社入社。93年から防衛問題担当。民間人として初めて防衛大学校総合安全保障研究科(修士課程)修了。解説部長、編集委員などを経て、2016年4月から現職。

(ロイター/アフロ)

 いまの尖閣危機の原点はどこにあるのか。それは1972年の沖縄返還の直前になって、当時の蒋介石台湾総統がニクソン米大統領に陳情した結果であることは、多くの資料や学術研究の結果などから異論を挟む余地はない。

 その経緯を要約すると、69年11月、佐藤栄作首相とニクソン大統領は、72年までに沖縄返還を実現するという共同声明を発表。その後、米国務省は70年9月、「サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)で米国が施政権を保有する南西諸島は、北緯29度以南のすべての島であり、そこには尖閣列島も含まれる」と公式に表明した。ところがこの直後から、蒋介石総統は釣魚台(尖閣諸島の台湾側の呼称)を沖縄から切り離し、日本に返還しないようニクソン大統領に働きかけたとされる。

 陳情した理由は、69年5月、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が東シナ海で実施した資源探査の結果を公表、尖閣諸島の周辺海域には中東油田に匹敵する膨大な石油資源が埋蔵されている可能性のあることを報告したからだ。

 一方の米国も、泥沼化するベトナム戦争から撤退するに際し、中国の仲介を期待し、国連の代表権を中華民国(台湾)から中華人民共和国(中国)に代える準備を進めていた。そのために中国との国交正常化を急いでいたという事情があった。米国の自己都合でしかないが、中国への接近を図りたい米国にすれば、台湾の反発を抑えるために、どうしても台湾を慰撫しなければならなかった。まさにアメとムチを使い分けたと言っていい。

 こうした経緯の中で、台湾は71年6月、尖閣諸島の領有権を主張、ニクソン大統領も同年10月、米議会の公聴会で、「尖閣諸島を日本に返還するが、施政権のみである」と説明、「主権については、どの国の主張にも与しない」と表明し、領有権については中立の立場を鮮明にしてしまった。そして直後の12月、台湾に続き中国も尖閣諸島の領有権を主張することになったのである。これが今の尖閣危機の原点だ。

 当時、政府は米国の態度急変に不満を漏らすものの、中国と台湾は領有権主張の国際法上の根拠を示さず、しかも日本が無主地であった尖閣諸島に国標を建立した1895年以降、1度も領有権を主張してこなかったという事実もあり、政府は中国との国交回復、友好親善に外交政策の優先順位を置き続けてきた。台湾との関係では、尖閣周辺海域における漁業取り決めを結ぶことによって問題は沈静化するが、問題の中国は、最初の領有権主張から20年を経た1992年、尖閣奪取に乗り出してくることになる。

着実に尖閣奪取に向けて歩を進める中国

 当初中国は、1970年代の日中国交正常化交渉などの過程で、周恩来首相が「尖閣は石油があるから問題になった」と語っていたように、石油に目が眩んで領有権を主張したことに間違いはない。尖閣奪取の意思を明らかにした92年は、経済成長が始まった中国が初めて石油の輸入国になった年でもあったからだ。

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