チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年5月4日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 特集に寄せられた数々の論文・報告に目を通してみると、たとえば『陳廷敬』を創作した山西省京劇院は、創作に当たって「腐敗を糾し、廉正に努める我が国の歴史を研究し、過去の廉正文化への理解を進め、歴史上の腐敗撲滅・廉正提唱という動きの利害得失を考察し、人々を深く啓発誘導し、歴史上の知恵を用いて腐敗撲滅・廉正提唱を推進すること」に力点を置いたと報告している。

 また、ある劇評は、劇中で陳廷敬が唱いあげる「清貧に耐えてこそ始めて官たりえ、徳を修め志を立て先ずは廉直を守るべし」との歌詞を援用しながら、これこそ「幹部の修養に関連する重要な講話で習近平主席が語った『幹部たるものは発財(カネもうけ)を考えるな。金持ちは幹部になろうとするな』『幹部たる前に人たれ。政治に携わる者は先ず徳を立てよ』と同じである。幹部であり政治に従事する者が歩むべき輝ける道筋を、観客のために指し示している。結論として考えるに、これは現実主義の内容と深い意味合いを持つ優れた芝居だ」と結論づけている。

 こうまであからさまに論じられたら、もはや多言は必要ないだろう。『陳廷敬』の向こう側に、「虎もハエも一網打尽」を掲げて習近平政権が取り組んできた反腐敗・不正運動が浮かび上がってくるのというものだ。いわば『陳廷敬』は、極めて今日的な政治的要請に基づく演目だといえるだろう。

“第二の文革”発動となるか

 ここで文革前に、同じように新編歴史劇として清官戯『海瑞罷官』が好評をもって迎えられたことを思い出す。これは中国史を代表する清官といっても過言ではない海瑞の事績を謳いあげた新編歴史劇で、毛沢東も絶賛していたのである。ところが後に四人組の1人として文革期に絶大な権力を揮うことになる姚文元が秘かに記した『海瑞罷官』批判論文が、文革への序曲となったのだ。姚文元によれば、海瑞は1958年に毛沢東が発動した大躍進に反対した彭徳懐の暗喩であり、海瑞への賛歌は彭徳懐の名誉回復を意味し、そのまま毛沢東への批判である。であればこそ、『海瑞罷官』は毛沢東批判の“毒草”だと糾弾されたのだ。

 かくて文革に際し、『海瑞罷官』を書いた歴史学者も、海瑞を演じた役者も徹底して批判され、非業な最期を余儀なくされた。「借古諷今(古の事績を使って現在を批判すること)」は罷りならん、というわけだ。

 かりに姚文元の手法を借りるならば、『陳廷敬』は陳廷敬の事績を借りて、現在の何を批判しようとしているのか。いや清官としての陳廷敬の振る舞いを舞台の上に再現させたいというのなら、習近平一強体制が始動し始めた現時点で、『陳廷敬』を新作する必要性があるのか。

 「政権は槍杅子(鉄砲)から生まれる」とは毛沢東の有名な言葉だが、じつは権力奪取に際し槍杅子と一対になっているのが「筆杅子(ペン)」――今風に表現するならメディア――である。毛沢東の再来を目指しているとも伝えられる習近平主席が第二の文革を発動させるかどうか。『陳廷敬』に対する評価の今後が注目されるところだ。

 それにしても、である。新編歴史劇『陳廷敬』は、誰が誰に向って「忖度」しているのだろうか。

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