チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年5月4日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

金正恩の“御前上演”で、あえて定番を外した中国

 朝鮮半島をめぐる情勢は、4月末の南北首脳会談を機に一気に“雪解けムード”に突入したといっていい。ところで南北首脳会談を10余日後に控えた4月16日、中国共産党の宋濤・中央対外連絡部長率いる芸術団が金正恩委員長と李雪主夫人の“ご臨席”を仰いで平壌でバレエ劇を演じたことを記憶しているだろうか。

 舞台は1946年から49年まで続いた国共内戦当時の海南島である。極悪非道の地主の家で困苦を舐めた女奴隷が共産党員の指導を受けて「翻身(うまれかわ)」り、「娘子軍(女子戦闘部隊)」を率いて地主階層を殲滅し、農民と農奴を解放するという粗筋であり、文革中には『紅色娘子軍』は毛沢東思想を宣伝する模範芝居として京劇やら話劇(現代劇)、さらに地方劇に改編され全国で演じられ、全国で上演されたものだ。

 はっきりいうなら定式化されたストーリーで、毛沢東式勧善懲悪芝居といってしまえばそれまでだが、ICBM(大陸間弾道弾)の発射実験やら原水爆実験を繰り返し、アメリカとの間で極度の緊張状態を醸成した昨年とは打って変わって両実験を控えながら“秘密訪中”する一方、南北首脳会談から米中首脳会談、さらには習近平主席訪朝まで噂されるこの時期に、しかも平壌で『紅色娘子軍』を演ずる目的は何なのか。

 中国にせよ北朝鮮にせよ、プロパガンダは得意中の得意であり、自家薬籠中のものだろう。しかも中国側の芸術団が平壌で金正恩夫妻を前にしての公演というからには、なんらの意図もなく演目が選定されるわけがない。なにか政治的意図があろうと考えるのが常識というものだ。かりに中朝両国の友誼を謳いあげようとするなら、おそらく現代京劇『奇襲白虎団』を措いて他の演目はないだろう。いや、ありえない。

 時は朝鮮戦争。朝鮮半島の戦場を舞台に巧妙に連携する中国人民志願軍と朝鮮人民軍を朝鮮人民が側面支援することで、韓国軍最精鋭部隊の白虎団とアメリカ軍事顧問団を包囲・殲滅するという冒険活劇である。『紅色娘子軍』と同じように文革中は全国津々浦々で演じられた。

 当時出版された『革命現代京劇 《奇襲白虎団》評論集』(人民文学出版社 1975年)は、当時の両国最高首脳の毛沢東と金日成の言葉を引用しながら、『奇襲白虎団』は「中朝人民による戦闘的友誼の壮麗なる頌歌」であると大絶賛している。であればこそ、常識的に考えるなら平壌での公演は『紅色娘子軍』ではなく、『奇襲白虎団』であって然るべきはずだ。にもかかわらず敢えて『紅色娘子軍』であった背景には、どのような忖度があったのか。

 金正恩委員長が大絶賛したと伝えられ、中国側が「両国の友好関係の伝統継承と強化・発展を示す重要な契機」だと評価する今回の平壌における『紅色娘子軍』の公演だが、国共内戦という過ぎ去った中国国内事情を反映させた政治劇に、いったいどのような「両国の友好関係の伝統」が表象されているというのか。頭を傾げざるをえない。

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