2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年5月31日

■「こうして本当の破局がやってくることになる」
――『高宗・閔妃』(木村幹 ミネルヴァ書房 2007年)

 超肥満体を人民服に包み、奇妙な髪形の下に満面の笑みを浮かべながら38度線の停戦ラインを越えたその姿に、トランプ大統領が揶揄した「ロケット・マン」の面影は見られなかった。にこやかな振る舞いの背後に、どんな意図が隠されているのか。

 この本は、李氏朝鮮第26代国王で大韓帝国初代皇帝(在位1864年~1907年)に就いた高宗(1852年~1919年)と閔妃(明成皇后/1851年~95年)の2人が、清国朝貢体制に縛られるという限定的な外交空間の中で、日本や西欧列強との関係構築に腐心した姿を詳細に解き明かす。連続する宮廷内クーデターや内乱、それに日清・日露の両戦争、やがて日韓併合へと流れ込む歴史の奔流に時に道化振りを発揮しながらも立ち向かった2人の姿に、金氏3代の姿が奇妙に重なって見えるから不思議だ。

 高宗の生父の大院君は、高宗即位から「朝鮮王朝においても最も大きな権力を振るった」。この大院君執政期と呼ばれる10年間、財政政策の失敗から「農村のさらなる窮乏化をもたらし」、「清国やロシア国境に近い地域では、国境を越えて逃亡する農民が続出し、王朝経済の崩壊は、国防面において問題をもたらすことになる」。なにやら「脱北」は金氏3代の“専売特許”ではなかったらしい。

 皇帝夫人の身分でいうなら「妃」より格下である「貴人」の張氏との間に生まれた義親王は宮廷外で育てられただけでなく、高宗お膝元である「漢城府を離れて日本やアメリカ等、海外を点々とすることを強いられた。その意味で、同じ皇子であっても、義親王の立場は、兄である皇太子や弟である英親王より遥かに劣るものであった。/高宗もまた、海外留学中に浪費癖のあった義親王を快くは思っていなかった」。この義親王の境遇は大使の身分を与えられ長期に亘って海外に留め置かれた金正日の実弟を、また金王朝の正しい血筋とされる「白頭山の血統」からいえば傍流に属する金正恩の立場を、容易に連想させる。

 海外留学中の浪費癖が原因で父親から「快くは思われていなかった」点は、昨春にクアラルンプール空港で暗殺された金正恩の腹違いの兄である金正男を思い起させる。

 1898年、高宗は勅令で自らを大韓民国の陸海軍を統括する「大元帥」と定め、「自らの下で皇太子が『元帥』としてその一切の統率に当たることを明言した」。同時に「『非常事態が発生したり、出征しなければならない状態が起こった場合を除き』、皇太子以外の皇子、皇孫を、その下の大将に任ずることができないように定めている」。この辺りは、同じ母親から生まれながらも飼い殺し状態に置いていると伝えられる兄の正哲の境遇に重なって来る。血の繋がる実の兄弟であっても、権力維持のためには断固たる処置を執る。金正恩は、非情としか形容しようのない伝統的手法を踏襲しているようにも思える。

 対外関係の基本は「第一に(宗主国の清国を差し置いて)、自らの密書による秘密外交で西洋列強を引き込もうとすること、そして第二に、その事が露見した場合には、それを直接の交渉に当たった臣下の責に帰すること、第三に、その場合に工作の対象となった列強には最大限配慮するというやり方である」。ここに見える「第二」「第三」からは、対中関係の一切を仕切っていた叔父に当たる張成沢の悲惨な最期が浮かび上がってくるようだ。

 高宗にとっては「対外関係と国内問題の区別さえ、曖昧だった」というが、「それを高宗の権力欲や金銭欲からのみ出たものだと考えるのは拙速であろう」。「それは高宗にとって、自らと自らの家族を守ることに直結していたからである」。「こうして本当の破局がやってくることになる」と、著者は結ぶ。

 東アジアにおける関係各国の利害は今後ますます錯綜し、プレーヤーとしての中国の比重は増すことはあっても減じることはない。であればこそ「不可逆的な非核化」などというハデなスローガンに惑わされることなく、歴史を振り返りながら将来を構想することこそ目下の、いや永遠の急務だと確信するのだ。

  
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