■「中国は無法律だ」
――『アリランの歌』(二ム・ウェールズ、キム・サン 岩波文庫1995年)
中朝関係は朝鮮戦争によって「血で結ばれた同盟」と呼ばれて久しいが、朝鮮戦争勃発以前の関係はどうだったのか。ことに中国人と朝鮮人の関係は……。
著者の1人であるニム・ウェールズの本名はヘレン・フォスター・スノー。延安の洞窟に潜んでいた毛沢東と中国共産党を、一躍世界に知らしめた『中国の赤い星』を書いたエドガー・スノーの元夫人であり、残る1人のキム・サン(金山)は本名が張志楽(1905年~38年)の朝鮮人革命家である。
ニム・ウェールズは盧溝橋事件が起きた1937年の早い段階で延安入りしている。はたして事件発生を事前に知っていたのか。彼女の延安滞在は4ヶ月ほど。「着いて間もなく毛沢東と朱徳将軍の公式訪問を受け」ているが、じつは「『アメリカ人通信員の妻』として仲間に迎え入れてもらった」。「アメリカ人通信員」であるエドガー・スノーの「妻」であればこそ、延安の中国共産党員は「仲間」として彼女を歓迎したはずだ。それというのも、毛沢東は「エドガー・スノーに対しては九年間の情報の壁を破ったことを讃えただけでなく、個人的にもよく気が合った」からだそうだ。「九年間の情報の壁を破った」こと、つまり『中国の赤い星』の公刊は延安に逼塞していた毛沢東と中国共産党にとって得がたい好機となり、毛沢東と彼が率いる共産党を生き返らせる効果があったということだろう。
「あの雨降り続きの日々に延安で」彼女が出会ったのがキムだった。彼女が「魯迅図書館の英文書籍借出人名簿を繰」ると、「一人の借覧者が大きく他をしのいで、その夏何十冊という本や雑誌を借り出している」。その「一人の借覧者」であるキムが語った物語を再構成して、この本が生まれた。前後の記述から判断して、どうやら2人が語り合ったのは盧溝橋事件直後と思われる。
朝鮮西北部の農家に生まれたキムは、兄の援助を得て平壌のキリスト教系中等学校に在学し、朝鮮独立運動に参加する。「一九一九年、朝鮮から逃げ出したあの秋の日、私は朝鮮を憎悪し、泣きごえが闘いのときの声に替わるまでは帰るまいと心に誓った」。以後、東京、満州、上海、北京など拠点を移しながら地下活動を続け、中国共産党に参加する。彼女に自らの人生を語った頃は延安の抗日軍政大学で物理・数学・日本語・朝鮮語などの教育を担当しているが、重い肺結核を患っていた。おそらく長年の地下活動と逮捕・獄中生活の無理が原因だったのだろう。
彼女に向かって「人を許さぬ決然たる性格なので、政治上の敵も多い。清廉潔白であることに絶対的にこだわる」。だから「(政治的に)ちょっとでも逸脱した人がいるとほとんど我慢できず」と自己分析する彼は、「中国では澄んだ川や運河を見たことがないのです。私たち朝鮮人は朝鮮の川で自殺するなら満足だというのですが、中国の川はきたなくて、そんな気になりません」と呟き、「自分たちがもうかるというのでなければ面倒を避けたがる中国人の性格を承知していた」と語り、「中国は無法律だ」と断じ、逮捕に来た官憲に対し無抵抗の中国人同志を前に「なぜあほうみたいにつっ立ってる? 卑怯者め! なぜ逃げないんだ?」「朝鮮人ならこんな時絶対にあきらめない」と怒声を挙げる。
彼を変わることなく援助した兄は、中国に向かう彼を「われわれ朝鮮人はすべて理想主義者であり、理想主義は歴史を創り出す。中国人はあまりにも拝金主義者であるためキリスト教民族とはなれず、やがてその物質主義のため亡びるであろう」と諭している。
盧溝橋事件の翌年、「中国のべリヤ」と呼ばれた康生が延安で起こした粛清の嵐の中で、中国共産党員の朝鮮人革命家は「トロツキー分子」「日本間諜」として処刑されたらしい。
2010年4月末、北京・黒河・孫呉・ハルピン・瀋陽・営口・旅順などを廻った最終目的地の大連で、折から“秘密裡”に訪中していた金正日一行に出くわしたことがある。数時間前から市内幹線道路は厳重にブロックされ、道路の両側は厳戒態勢である。とはいえ市民の誰もが警戒の対象は“極秘旅行中”の金正日であることを知っていた。道路の周囲を人々が十重二十重に取り巻く。
道路両側のネオンの灯りが消され、街は暗闇に包まれる。しばらくすると暗い道路の遥か前方から先導パトカーがサイレンの音も高らかにフルスピードで疾駆してきた。見物の誰もが息を呑んで凝視するなかを、60数輌の長い車列が駆け抜ける。車列中央部を黒塗りのベンツで固めていたが、その中の見るからに頑丈そうな黒塗りのベンツに金正日が乗っていたのだろう。車列が去り暫しの興奮が冷めるや、人々の間から誰いうことなく「ワケの分らない国から、ワケの分らないヒトが来て大迷惑だ」の呟きが聞こえてきた。
「自分たちがもうかるというのでなければ面倒を避けたがる中国人の性格を承知してい」るというキム・サンの思いを、はたして金王朝3代目は知ってか知らずか。