NJP駅の子どもたち
4月22日。ダージリンから12人の現地人でぎゅうぎゅう詰めの乗合ジープに乗った。半日押し合いへし合いのジープに揺られて、コルカタ行きの鉄道の起点となるニュー・ジャルパイグリ(NJP)駅に到着。午後8時の列車の出発まで4時間待ちだ。
ジープを降りるや否や赤ん坊を抱いた女性に付きまとわれる。なんとか振り切るが、その後も高齢者、幼児集団、少女と老若男女が近寄ってくる。
やっと落ち着いて木陰のベンチの端に腰掛けると今度は耳かき、爪切り、髭剃りなどのサービスの押し売りが執拗に声を掛けてくる。
4時間近く駅前広場で時間を潰していたが、この広場を縄張りとして物乞いを稼業にしている子どもたちは15人である。広場に到着して最初にすり寄ってきた赤ん坊を抱えた女性には6歳くらいと4歳くらいの男児がいた。この2人の男児はペットボトルや空き缶を集めながら物乞いをしている。
3人組の姉弟は2人の姉が交互に幼児の弟をあやしながら物乞いをしていた。他の3人の少女たちは暇になると駅の水道で水をペットボトルに汲んできた。何をするのか見ていたら頭に水をかけてシャンプーを始めた。
5歳から12歳くらいまでの6人の男児のグループは孤児らしく集団で行動していた。年上のリーダーの少年の指示でペットボトルや空き瓶などを収集しながら物乞いをしている。人の良さそうな行商人が1人の男児に小銭を与えた。男児は後で小銭をリーダー格の少年に渡した。グループで集団生活をしているのであろう。
少女の憎悪の視線の先には
時間が来たのでプラットフォームに向かおうと駅前広場のベンチから立ち上がろうとした。咄嗟にぼろをまとった7歳くらいの少女が手を差し出してきた。無視して手を振って断りのジェスチャーをした時、ぞっとするような殺意すら感じる憎悪の視線で私を睨みつけたのである。少女にとり、金にならない人間は生存する価値がないのであろうか。
彼女は将来に夢も希望もなく、赤ん坊を抱えた女性と同じ人生しか見えないのであろう。物乞いだけでは得られるものはたかが知れている。盗みや恐喝など金を得るためにエスカレートしてゆくのではないかと彼女の未来が案じられた。
旅人は何もできないのか
途上国で絶対的貧困の現実を目の当たりにすると、旅行者は単なる傍観者であるという無力感にとらわれる。貧困問題への長期的マクロ的解決策は経済成長である。そして目前の絶対的貧困に対しては途上国政府やNGOによる救済策である。
通りすがりの旅行者としては何もできないが、ささやかながら日本政府への納税を通じて間接的に日本政府やNGOの途上国支援に繋がっていると自分を納得させることにしている。
⇒第11回に続く
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