2024年7月23日(火)

個人美術館ものがたり

2011年4月18日

 杉本美術館は、名古屋から名鉄で一時間ほど行った美浜緑苑〔みはまりょくえん〕にある。駅は無人で、駅を出ても何もないのでびっくりするが、石段を昇ると郊外型の住宅地で、その中に美術館がある。凹凸のある丘陵地に建つ建物は、渡り廊下があったりしていくつかのコーナーに分かれ、その至るところに杉本作品が展示してある。もちろんキャンバスの絵が中心だが、そのほかに壺やオブジェ類、手造りの玩具類、巨大曼陀羅の掛軸、幡〔ばん〕という幟〔のぼり〕のような縦長の布に描かれた絵など、あらゆる形のものをすべて作品にしている。

 中には美術館構想初期の、杉本自身の手による手造り模型もあった。現実に建ったものとはまるで違って、農家の作業小屋のようなものだ。本人もはじめは作品類の倉庫として考えていたらしい。

右は美術館の手造り模型

 杉本健吉は自分の作品を手放したくなかった人で、作品数はそうとうあったようだ。でもまったく絵を売らなかったのではない。絵が売れると、その行先を忘れないように、画帖にその絵を色つきで小さく描いて、その下に絵の落着き先を小さくメモしておく、たまにその画帖を開くと、切手をたくさん並べたみたいに綺麗で、それもまた捨て難いと、ご本人が話していた。

 杉本健吉は名古屋の出身で、名古屋に在住した画家だった。私事で恐縮だが、小生も高校時代は名古屋で、そこに美術科クラスがあり、杉本健吉は年に一回の特別講師だった。年一回とはいえ先生ですから、ここで敬称ぬきで書くのはちょっと戸惑っている。ご容赦を。

洋画の展示室(上)と「新・平家絵物語屏風」などの展示室(下)

 そのころ本や雑誌で杉本健吉の絵を見て、うまいなと感心していた。ただうまいのではなく、離れ難い味わいがある。とはいえ十代の自分はその味わいにとどまることができなかった。感覚よりもむしろ頭に引張られて、もっと新しいものへという破壊衝動にかられていたのだ。

 若者特有といえばそうなのだが、要するにアヴァンギャルド・ウィルスに感染して、高熱を出していた。人間いつも同じではない。


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