前回はポルノ動画に進出したフェイク技術の問題から、あらゆる動画にフェイク疑惑が持たれ得る社会について議論した。フェイク動画はその後日本でも作成されており、今後も残念ながら悪い方向に向かっていくことが予想される。今後も注意が必要であろう。
今回は「バイオハッキング」をテーマに、技術発展と「人間とは何か」をめぐる問題について考えてみたい。ずいぶんと大きなテーマに聞こえるかもしれないが、昨今の技術は我々が思い描く人間像を越えた人間について論点を提供している。近年生じている問題を参照しながら、考えていきたい。
交通系ICカードのチップを手に埋め込んだバイオハッカー
読者は「バイオハッキング」ときいて何を思い浮かべるだろうか。バイオハッキングとは、医療技術と電子技術を組み合わせ、身体に器具を埋め込む等の手段によって、新たな能力開発を目指すものである。後述するが、彼らの目的は人間の可能性を拡張させることであり、これまでの人間像の更新にあるように思われる。
例えば次のような事例がある。2017年、シドニーに在住するある男性が、交通系ICカードのオパールカード(日本で例えるならSUICAやICOCA)のチップを自分の手に埋め込み、それを用いて列車に乗車しようとした。その際鉄道員から呼び止められた男性は、有効な乗車券をもっていないことを理由に罰金を言い渡され、裁判でも有罪とされた。男性は自身を「サイボーグ」と呼ぶバイオハッカー(バイオハッキングの実践者)であった。
ここで重要なのは、男性が無賃乗車=不正を働こうとしたわけではない点だ。我々がICカードにチャージするように、彼は自身の手に埋め込んだチップに料金をチャージし、正規の料金で乗車しようとしていた。この時の罪状は、鉄道会社のカードを故意に改変や加工してはならないという使用規約に違反したというものだ。ほとんどの人は、乗客の手の中にチップが埋め込まれているとは思いもしなかったであろう。
鉄道会社が掲げた使用規約違反という理由は確かに正しいが、問題の背景には、そのような事態を想定していなかったことに対する混乱があるように思われる。「法律が技術に追いついていない」と男性は述べているが、社会の認識も技術に追いついていない。
確かにスマホ決済の代わりに身体にチップを埋め込んでしまえば、手ぶらであらゆることが可能になる。同様に、社員証代わりのチップを社員の手に埋め込むことで、認証手続きを簡略化する試みもある。いずれにせよ、実行するか否かは別にせよ、技術的には可能なのだ。