2024年4月19日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2018年8月17日

 平成の政治制度は前者の流れ、つまり知識人の主導で設計されても、実際にそれを動かしたのは後者の流れ、「プロへの不信」という意味での反知性主義だった。厚生省の薬害を追及して人気を得た菅直人さんや、外務省と全面対決して初期の小泉改革ブームを演出した田中真紀子さんは、「私はアマチュアだ。だからこそ、名ばかりで腐敗したエリートと戦える」というポーズで出てきました。

 最初は「慰安婦問題などで、つくる会と同じ主張をしている右寄りの政治家」という印象だった、いまの安倍首相も、同様の文脈で理解できますね。

――安倍首相や麻生財務大臣も含め、現政権は反知性主義的だと言われます。

與那覇:たしかにそうなのですが、そこでいう反知性主義を「学歴が低く、教養もなく、バカじゃないか」という意味にとってはいけないのです。支持者は「そこがいいんだ。だから、東大卒のエリート官僚なんかに取り込まれない」と感じているのですから。

 首相に返り咲く際に安倍さんは、当時の日銀を激しく攻撃してアベノミクスを掲げましたね。今日につながる財務省・日銀批判のルーツは、30年ほど前(1977年8月)に榊原英資さんと野口悠紀雄さんが『中央公論』に発表した「大蔵省・日銀王朝の分析」でしょう。お二人は本来大蔵官僚でしたから、この時点ではエリート社会の内部での論争であり、かつ「総力戦体制のように、官庁と日銀がすべてをコントロールしようとするのはよくない」という趣旨でした。

 ところがバブル崩壊後の大蔵省無能論や、相次ぐ消費増税への素朴な反発など、平成の反知性主義の高まりは、「俺たちノン・エリートの代表をトップにして、国の経済政策を一変させれば、全部うまくいくんだ!」という、より強力な国家主導を求める財務省・日銀批判につながっていった。担い手にも、少なくとも学者としてはアマチュアにあたる、経済評論家を自称する方がずいぶんおられますね。

――「エリートへの反乱」という反知性主義の特徴は、日本以上にトランプ大統領のアメリカや、EU離脱を表明したイギリスで指摘されます。これらの現象も、平成の日本と同じと捉えてよいのでしょうか?

與那覇:共通性と差異の両面を見なくてはいけません。たとえば、ヨーロッパで反緊縮財政を叫ぶ政治家や運動が力を伸ばしているからといって、「世界の潮流は反緊縮だ。それを日本にも」と唱える人が、知識人のあいだに増えてきました。ご本人としては、平成の反知性主義に対して自分たちが無力だった経緯を、反省しての行動なのでしょう。

 しかし、ヨーロッパで反エリート主義が反緊縮政策の形をとるのは、EUという、国家の上部にあり、選挙権がきちんと及んでいるのか不明瞭な存在が、共通通貨(ユーロ)の価値を維持するために「外部から緊縮を強制してくる」という前提があるからでしょう。日本に、それに相当するものがどこにありますか。「財務省支配がそうだ」というなら、まずはその根拠を政治学的に示すのが、本来の知識人の作法ではないでしょうか。

 まったく前提が違うのに、「ノン・エリートの声に耳を傾ければ、結論は反緊縮だ!」というのは、短絡というほかありません。知識人が率先して、「不勉強」というシンプルな意味での反知性主義を実践しているようで、憂鬱になります。


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