2024年4月25日(木)

ベストセラーで読むアメリカ

2018年8月29日

終戦後、川崎重工へ。のちに宮司に

 そもそも、わたしはこの橋本という軍人の存在を、アメリカのベストセラーである本書を読んで初めて知った。おそらく、戦後生まれの多くの日本人もわたしと同じように、橋本の名前を知らないのではないか。皮肉にも、アメリカの多くの人が今や本書を通じて、帝国海軍の潜水艦の艦長だった橋本の名前に触れている。本書は、橋本の戦後の歩みについて次のように記す。

 In the 1970s, Hashimoto had taken over care of Umenomiya Taishya Shrine.  Immediately after the war, Hashimoto worked at several Japanese businesses, including a long stint with Kawasaki Juukuo, a heavy equipment firm with a defense contract to build submarines. He also wrote a book on World War II Japanese submarine operations. It was translated into English and published in 1954 by New York publisher Henry Holt & Co. under the title Sunk.

 「1970年代に、橋本は梅宮大社の宮司となった。戦争が終わった直後には、日本の企業に勤務した。なかでも長く務めた先が重機械メーカーの川崎重工で、同社は潜水艦を製造していた。橋本は第二次世界大戦で日本の潜水艦が行った軍事作戦に関する本も書いた。英語にも翻訳され1954年にニューヨークの出版社ヘンリー・コルトがSunk(沈没)というタイトルで出版した」

 橋本はどうやら、その世界では有名な軍人のようだ。本書のなかでも、1997年当時、アメリカ海軍の潜水艦インディアナポリスの艦長が、日米の合同軍事演習が終わった後に佐世保で祝杯をあげた際、日本の海上自衛隊の幹部と交わした次の会話を紹介している。

 “Are you familiar with Hashimoto?  Mochitsura Hashimoto,the captain of I-58?” Ogawa nodded. “Yes, this very famous name. Everybody know Hashimoto.” “I understand he’s a Shinto priest down in Kyoto now,” Toti said.

 「(トッティは次のように聞いた)『橋本について知っていますか? 橋本以行、伊58潜水艦の艦長だった人ですが』 小川はうなずいて答えた。『もちろん、とても有名な名前です。みな橋本のことは知っています』と。『今は京都で神職にあると聞いていますが』とトッティは続けた」

 トッティは当時、撃沈された軍艦と同じ名前を持つ潜水艦インディアナポリスの艦長だった。撃沈されたインディアナポリスの艦長が軍法会議で有罪となった一件に関心を持ち、当時の状況を調べるため橋本にコンタクトしようとしたのだ。結局、トッティは橋本と直接あって話はできなかったものの、のちにインディアナポリスの艦長マクベイの名誉回復に一役買う。

 本書は、戦艦インディアナポリスが担った原爆の運搬という秘密任務や、沈没した後の乗員の漂流と救助の様子、そして戦後の軍法会議でマクベイ艦長が裁かれた史実を丁寧に描く。同時に、1990年代の終わりからアメリカで盛り上がるマクベイ艦長の名誉回復に向けた生存者たちの運動を追う。


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