スケープゴートにされたマクベイ艦長
本書では、戦後間もない時期に、インディアナポリスの艦長マクベイの責任を追及する軍法会議に、戦艦を撃沈した張本人である橋本を、アメリカ海軍が検察側の証人として呼んだ事実も描く。軍法会議で検察側は、インディアナポリスがフィリピン海を航行していた際、魚雷を警戒するためのジグザグ航行をしていなかったことが沈没の一因であり、ジグザグ航行を怠った艦長の判断に問題があったと主張していた。
実際には、フィリピン海で橋本がインディアナポリスを発見したのは偶然であり、その時点ではインディアナポリスがジグザグ航行していようがいまいが、魚雷を確実に命中できる状況だった。1945年12月に渡米した橋本はそうした趣旨の証言を軍法会議でもした。しかし、英語に通訳する過程でニュアンスを変えられ、マクベイ艦長は艦長として責任を問われ海軍内での昇進が事実上、凍結される。
実は、海軍の上層部ではフィリピン海で当時、日本の潜水艦が活発な活動をしていることを把握しており、そうした情報をマクベイ艦長にちゃんと伝えておらず、護衛艦をつけなかったという怠慢があったというのが真相だった。いわばスケープゴートにされたマクベイ艦長のもとには、その後、死んだ乗員の親族から長年にわたり非難の手紙が届く。ついには1968年に拳銃で自殺する。
マクベイ艦長が亡くなった後も、インディアナポリスの沈没を生き延びた人たちは定期的に集まり旧交をあたため続けた。なんと、生存者たちは1990年12月7日、真珠湾の日にホノルルに集い、橋本を招いて、戦中は互いに国のために戦ったことをたたえあったという。イノウエ・トヨコという佐世保の日本人女性と結婚した生存者もいたという。
そして、1990年代後半に、アメリカ国内でインディアナポリスの艦長の名誉回復を求める声が高まった。アメリカ議会が公聴会を開き、インディアナポリスの生存者らがマクベイ艦長の無実を訴えた。マクベイ艦長の名誉回復に向け具体的な立法措置に動かない議員の重い腰を上げさせたのがなんと、橋本が1999年11月にアメリカの大物議員に送った次の手紙だった。
I have met many of your brave men who survived the sinking of the Indianapolis. I would like to join them in urging that your national legislature clear their captain’s name. Our peoples have forgiven each other for that terrible war and its consequences. Perhaps it is time your peoples forgave Captain McVay for the humiliation of his unjust conviction.
「沈没したインディアナポリスから生還した勇敢な男たちに私は会いました。わたしも彼らと一緒になり、アメリカ議会がインディアナポリス艦長の名誉を回復するよう、お願いしたい。日本国民は互いに、悲惨な戦争とその結末を受け入れた。おそらく、今度はアメリカ国民が、マクベイ艦長に下された不当な有罪判決を取り消してあげる時だ」
そして、2005年7月、インディアナ州インディアナポリスのホテルで開催した、インディアナポリス号の生存者の集まりに意外な招待客がいた場面を描き本書は終わる。
A young Japanese woman had also come to the reunion. Her name was Atsuko Iida, and she was the granddaughter of Commander Mochitsura Hashimoto.
「若い一人の日本人女性も、再会の集いにやってきた。彼女の名前はイイダ・アツコといい、海軍中佐、橋本以行の孫娘だった」