時効を迎えたとき「オウムの組織的犯行」と断定
中村泰とは何者か。原雄一氏は冷徹に断定する。
「人生のすべてを地下工作に費やした、希代の凶悪な犯罪者です」
中村は、1930年に旧満州に生まれた。貧困のなかで国家に対する嫌悪を抱いていたという。1949年に東京大学に入学するが、学生運動にはまりこみ、革命を志して退学している。1956年、26歳のときに革命資金を集める目的で金庫破りを繰り返していたころ、職務質問された警察官を射殺している。胸に2発を撃ち込み、最後に頭にとどめの1発を発射している。千葉刑務所に19年間服役し、その間に右翼の理論家であり現職大臣の自宅に放火して服役中の野村秋介と知り合う。チェ・ゲバラの革命思想に共鳴するようにもなった。
野村の知人の証言によると、刑期を終えると、中村は野村の名前を利用して武装組織を作ろうとしたという。「中村はカネを持っていたようだ。人間としてはつまらなかった。人が集まらなかった」と、その知人は証言している。
原雄一氏らの捜査班は、中村から重要な証言を次々に引き出していった。
・長官襲撃の2日前の下見の際に、公用車が新車に代わってナンバーが変わっていたという証言は、警察側の記録から裏付けられた。
・事件当日、中村は貸金庫に犯行に使った銃を保管したが、逃走時点と貸金庫の利用記録から、それが可能だったことがわかった。
ところが、警視庁内部では、中村犯行説はほとんど関心が払われなかったばかりではなく、2004年7月にオウム真理教の信者だったK巡査長ら4人を長官襲撃容疑で逮捕したのである。しかし、犯行の自供は得られたものの、それを裏付ける証拠や実行犯が特定できなかったために、4人を釈放する結果となった。
番組は、警察とは、捜査とはなんなのかを問う。原雄一氏は語る。
「中村泰は、限りなく“黒”に近い男です。事件は真実を追究すれば犯行にたどりつく」と。
2010年3月30日、事件が時効を迎えたとき、警視庁公安部の青木五郎部長は異例の談話を発表する。
「オウムの組織的犯行」と断定したのだった。
その後、オウム真理教の後継団体が、名誉棄損の賠償請求訴訟を提起し勝訴している。
中村泰は、現在も無期懲役で岐阜刑務所に服役している。88歳になった。取材チームに対して、弁護士を通じて「ある場所に、見つけ出せばびっくりするような銃と弾丸を隠している」という連絡があった。
取材は続いている。
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