「ミシンの修理方法」にまで影響を与えた毛沢東思想
治療・健康問題とは離れるが、毛沢東思想に基づくスイーツとスナックの製法、ミシン修理基礎知識に関する2冊を紹介しておきたい。
先ず『上海糕点制法』(上海市糖業酒公司編 軽工業出版社 1974年)だが、当時の上海で口にできた伝統点心についてのレシピ集である。扱われているのは月餅を代表とする小麦粉などを焼いた丸くて平たい餅類が35種類。米の粉やメリケン粉を蒸して作る糕類が35種類。小麦粉、卵、クルミの実を豚の脂で捏ねて焼いた酥類が18種類、油で揚げた油炸類が15種類。パンや粽などが27種類――確かに中国の伝統菓子は、それなりに美味い。酥などは薄いパイ状の生地が何層にも重なり、口に入れた途端に溶けてなかなか捨て難い味と舌触りがある。
文革期の出版だけにスイーツやスナック作りのノーハウ伝授だけで終わるわけがない。
――中国の伝統的なスイーツとスナックは、民族独特の風格を備えた食べ物であり、国内の各民族、各地方の労働人民の求めに応じるだけではなく、その一部は国際市場でも大いに人気を博している。
毛主席の推し進めるプロレタリア階級革命路線の導くところによって、我が偉大なる社会主義の祖国は日々発展を続ける。殊に1966年の文革発動以来、社会主義革命と建設の大事業は飛躍的な発展を見せるようになった。市場に商品は溢れ返り、物価は極めて安定し、人民の生活は絶え間のない向上を続けている。スイーツとスナックを作る労働者の日々の努力によって、質は向上し、民族の特色が強調され、新商品が次々に生み出され、社会主義市場をより一層豊かなものにしている――
やはり毛沢東思想は料理にも多大な影響を与えていたということか。
次いで『家用 縫紉機維修知識』(広東縫紉機厰編写組編 広東人民出版社 1976年)である。
表紙を繰ると最初のページには、「一切の民衆の実際の生活問題は、すべて我われが注意すべき問題である」「努めて倹約に励み、少ない資金で多くの事をなそう」「自ら手を動かして満ち足りた衣食(せいかつ)を」と、『毛主席語録』から引かれている。続く「前言」で、ミシンと中国革命の歴史的関係を諄々と説く。
――家庭用ミシンは人民が生活するうえで必需品となった。ミシンを使うと手縫いより早いだけではなく、仕上がりが綺麗で丈夫だ。わが国の生産と人民生活の向上に伴って、より多くの労働者・農民・兵士がますますミシンを使うようになり、労働者の宿舎だけでなく人民公社の各家庭でも、遠い島でも山間僻地でもミシンの音が聞こえるようになった。
ミシンは労働者人民が実践の中から創りだしたものだ。17世紀半ば、フランス・リヨンの裁縫労働者が世界で最初のミシンを考え付いた。資本主義社会において、当初、彼の発明は人々から注目されることなく、大道の見世物として扱われる始末だった。現在の多種多彩な機能を持つミシンも、こういった不幸な歴史を背負わされてきた。
解放前の旧中国では独力でミシンを製造できず、外国製ミシンが我が市場を席巻していた。後に上海や広州などでミシン製造工場が生まれたが、実質的には外国から輸入した部品を組み立てるだけだった。
だが解放以後、わが国の工業・農業の生産は猛烈な速度で高まり、党と政府はミシン製造工業を極めて重視する。かくて偉大なる毛主席の「独立自主・自力更生」の方針の下、多くの省、自治区、市においてミシン工場を建設し、家庭用と工業用とを問わず各種ミシンの生産に着手。いまや質・量ともに日進月歩である。一例を広州ミシン工場にみると、2日半の生産量は解放前の広州における全ミシン生産の15年分よりも多い。毛主席の「農業を基礎とし、工業を導き手とする」という国民経済発展のための総指針を真剣に励行することで、わが国のミシン工業をさらに発展させ、より多くの人民大衆の需要と工業増産という要求を満足させたい。我われが生産するミシンは労働者・農民・兵士のためのものであり、労働者・農民・兵士に服務する――
要するに「労働者・農民・兵士に服務する」ために、この本が編まれたわけだ。些かリクツが勝ち過ぎるが、小さな部品の細部に至るまでイラストで的確に図示しミシンの構造と機能を判り易く解説しながら、より具体的に故障例を明示し修理方法を懇切丁寧に教え、維持・管理・補修の大切さを説く。
本文の内容は実用的だが、最後で「これまで述べてきた故障修理の方法は飽くまでも一般的規律であり、実際は複雑な情況にぶつかる。全体情況を把握し、具体的に分析し枝葉末節に囚われることなく、一面的であってはならない」と説いたうえで、「偉大なる領袖の毛主席は『思索を提唱し、事物の分析方法を会得し分析する習慣を養成しなければならない』と教えている」と結んでいる。
「大後退の10年」に見え隠れする中国人の行動様式
当時の中国では、医療から健康、体育、料理、果てはミシン修理までが毛沢東思想と結び付けられて論じられていた。大部分の中国人は毛沢東派が牛耳るメディアの大攻勢を受け入れ、嬉々として唱和した。たとえそれが強いられたものであり、面従腹背であったにせよ、大部分の「人民」が受け入れた事実を消し去ることはできそうにない。
『快速針刺療法』から『家用 縫紉機維修知識』までを改めて眺めて思い出したのは「愚にあらざれば誣なり」という言葉だ。あんなバカなことをしているのは、本人が余ほど馬鹿か、世間を余ほど馬鹿にしているかのどちらかだ、という意味である。
後に「大後退の10年」「10年の災厄」などと否定されることになる文革の10年間に現れた様々な事象――それらを「新生事物」と呼んでいたように記憶している――に、中国人の行動様式のカラクリの一端が隠れているようにも思える。それはまた現在の、そして将来の中国人の振る舞いに様々な形で反映されることになるはずだ。
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