2024年11月22日(金)

明治の反知性主義が見た中国

2018年10月22日

西洋人と結託して国家転覆を企てる「秘密結社」

「余は漢口に滯留すること凡そ一年餘」。その間、長江一帯各地における秘密結社の動静を伝えている。

 秘密結社は口ではキリスト教排斥を訴え「以て愚民を煽動し」ているが、裏では「洋人に結託して以て兵器等の買入をなさんとせり」。指導者の目的は「洋敎の排斥」ではなく「清帝頭上の冠を得んとするにあり」。「洋敎排斥を唱るは唯擧事の手段」でしかない。長江一帯のみならず、山東省や北京一帯では白蓮教の一派が「盤結」し、満州では馬賊が横行し、福建・広東の両省では天地会が蠢動している。広東の天地会は先の清仏戦争に際し、「竊に外患に乘して動かんと」したほどだ。誠に「清帝國たる者危しと云ふへし」。

 各地で「天主敎の敎堂」を目にしたことで「洋敎」に言及する。「耶蘇敎の傳敎師等は既に支那全國の各地に入込み最も盛大に最も熱心に布敎し」ているが、「其内天主敎即ち舊敎の一派は稍一種の野心を有する者の如く其擧動自から新敎各派の傳敎師に異」なり、「布敎に托して國事を探偵する者少」なくない。

 秘密結社は「洋敎排斥」を口実に「洋人と結託して以て兵器等の買入」し清朝顚覆を企てる一方、「洋敎」の側では「布敎に托して國事を探偵する」。将来の清国利権をめぐってのインテリジェンス活動だろう。こういった発想は、当時の日本にはなかったようだ。

 清国は混乱する社会に対処すべく長江中上流域に海軍を設けて船舶を取り締まっているが、流域一帯の「風紀の壞亂せるを覺」えるものであり、治安維持すらできそうになく、ましてや海外からの「齊整たる艦隊に抵抗すへき勢力」ではない。かくして清国の政治の乱れ、国家疲弊の原因は、国内が上から下まで互いが互いを欺き、国を挙げて疑心暗鬼に陥っていることに加え、上も下も嘘八百を並べたてながら表面を取り繕っているからだ。こういった具合では、大競争時代の世界に影響力を発揮しようとしても、とてもムリである――とは、高橋の主張だった。

 高橋は長江を上流の重慶まで遡り、流域の各港湾都市を結ぶ物流ネットワークに基づく活発な貿易・運輸活動を目にして、そこに「支那無盡の富源」を認めた。統計数字などでは捉えることのできない実際の取り引きが、滔々と続いているということだろう。

「長江一帶各省の人情風俗」に関しては、「江蘇地方は文學盛に行れ自から奢侈の風あり鋭敏にして狡猾」ではあるが、「概して勇猛の氣力を缼」く。安徽・江西などは「稍素朴なる風」があるが、「概して最も狡猾にして且つ往々敢爲の氣風を見」る。長江中流域で洞庭湖を南北に挟んだ湖北・湖南の両省は、「概して狡猾頑固にして鋭敏なる精神と勇敢なる氣力を有せり」。中でも「湖南人は最も勇敢頑固にして外國人を視ること殆んと仇敵の如し」。残るは上流の四川省だが、「古より風俗自から他省に異り男女の間隔嚴重ならすして年頃の男女一室に相話して愧る色なし且つ頗る狡猾にして勇猛なる者の如し」と綴る。

 このように長江の下流から中流を経て上流に至る「各省の人情風俗を略述」する。各省それぞれに「人情風俗」は違っているが、各省共通するのが「鋭敏にして狡猾」「最も狡猾」「狡猾頑固」「頗る狡猾」と「狡猾」の2文字。長江一帯が例外なく「狡猾」ならば、だとよもや長江一帯を除いた他の地域が「狡猾」ではないなどということはないだろう。

 ここで思い起こすと、蔣介石は浙江、毛沢東は湖南、鄧小平は四川、江沢民は江蘇、胡錦濤は安徽である。陝西省を祖先の出身地に持つ習近平を除く歴代指導者は例外なく長江一帯の出身であり、高橋の見方に基づくなら程度の違いはあれ「狡猾」。もっとも習近平にしたところで、「狡猾」でないはずがない。おそらく黄河一帯も、その北も、またその北も、一気に南下した長江以南もまた、と類推してしまう。であればこそ我々が後生大事に抱えている“常識”やら“正論”で彼らを推し量り、一喜一憂するのはムダということか。


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