2022年12月5日(月)

明治の反知性主義が見た中国

2018年10月22日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「10人に1人」がアヘンを吸っている

 高橋は、長江下流域の江南地方に四通八達する運河にも着目した。 

「水運甚た便」ではあるが、残念ながら官民が共に怠慢で長期に亘って河浚いを怠ってきたばかりか、「却て土芥を河中に投する」から、運河は「殆と泥淤の爲に塞り小舟と雖も徃々通行困難を生するに至れり」。ここから「目前の小利に迷ひ後來の大禍を釀すことを顧みさる」という「支那人の常性」を導くことになる。

 たとえば堤防の近くに住む農民らからすれば、やはり生活上は堤防が堅牢であることが最も大切であるはずだが、「實際之に反する行爲をなる者甚た多く」、「其土を掘採する者あり」、「其土を鋤起して豆麥の類を種する者あり」。だが、このように堤防を毀損することに対し抗議する者もいない。もちろん「官府も之を禁」じないし修理さえしない。そこで「一年又一年唯毀壞する」ばかりで、「堤身は稀鬆にして堅固ならす」。だから「降雨出水に遇ふ毎に其土を流失して徒に溝河を塡塞し終には水旱の災を被り流離困憊して蒼天に號泣するに至る」ことになる。号泣したところで自業自得だ。かくして「愚も亦甚しと云へし」。

 横行する賭博にも目を向ける。「支那にも賭博律あり嚴に賭博を禁」じているが、そんな法律は官民共にお構いなし。それゆえに「賭風」は社会を覆い誰も疑問に持たない。「酒樓茶館は勿論甚しきは官衙の門前及ひ寺院の門内等に於て公然賭局を開」き、「商民の子弟」の中には「匪人」によって身ぐるみ剥がされた挙句の果てに、「終に身家を蕩盡する者あるに至ると云ふ」。

 賭博とくればアヘンだが、「英國の奸商始めて廣東地方に輸入せしより漸次支那人の嗜む所とな」った。その後に輸入が禁止されると雲南や四川などの内陸部で生産されるようになり「一層の流行を來」すこととなる。

 高橋は各地で目にしたアヘン吸引状況から、「今や既に上下官民の別なく其流行に感染し戸々鴉片床を備へさるなく來客等あれば之に喫煙を勸むること猶ほ酒茶に異なら」ない。「今全國の喫煙者を概算」すれば「凡そ全人口の十分の一」であり、その数は増加する一方と類推した。「凡そ全人口の十分の一」が信頼できる数字なら、乳児や幼少年もふくめ10人に1人がアヘン吸引者ということになる。おそらく当時の人口は4億から5億の中間辺りだったろうから、「凡そ全人口の十分の一」は4000万人から5000万人に当たる。乳幼児は吸わないだろうと常識的(多分、日本人的常識は通用しないだろうが・・・)に考えるなら、大人の吸飲者の割合は成人の人口の半分まではいかないまでも、10分の1を遥かに超えたとも想像可能だ。

 薬を売る所を「藥舗」、「鴉片烟を賣る所」を「烟館」と呼ぶが、「支那にては如何なる山村僻邑と雖も必す有らさるなき者は藥舗と烟館にして鴉片の流行は日に逐て盛に赴くのみ」。これでは「國家の元氣を消耗する甚しと云ふべし」。

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