2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年8月3日

 その後、李庄は服役していたが、不可解なことに、11年6月の刑期満了まで残り数カ月という時になって再び起訴された。08年に李が上海で担当した訴訟における証拠偽造がその理由だという。これに対し、法学者の江平、何兵、賀衛方、弁護士の張思之、莫少平、陳有西、劉思達、魏汝久、元『財経』編集長、現『新世紀』編集長の胡舒立らが立ち上がり、反対の声を上げた。批判が高まるなか、4月22日になって、重慶市検察当局は李庄の起訴を突然撤回した。 

 黒社会と対峙するヒーロー的存在として自らをアピールする薄熙来だが、改革派知識人たちは「まるで文革のやり方だ」と冷ややかな目で見ている。しかし、薄熙来はそのようなことはものともせず、精力的に改革を進め、「打黒」とセットで「唱紅」を打ち出した。

 「紅」とは「紅歌」(赤い歌)、いわゆる「革命歌」である。毛沢東時代の古き良き中国を思い返すべきだとして、薄熙来が自ら音頭を取って36曲を選定し、政令を出して市民に日々歌わせようとしている。このほか、毛沢東語録やマルクス主義を学習させたり、革命映画をテレビで放映したりするなど運動は過熱し、6月には建党90周年の一環として、「赤い歌を万世に語り継ごう」と題する演奏会を北京市に「出張」までして開催した。

「赤い歌」で毛沢東時代へ回帰 熱狂する人々

 前出の賀衛方の父親は、文化大革命で「人民裁判」のつるし上げに遭って自殺している。賀は革命歌を「一種の病態の花」と表現し、「こうした歌は個人崇拝を宣伝し、指導者を人民の救世主に祭り上げた。(中略)国と民衆の苦難を覆い隠し、社会に対する恨みを生み、粗暴な言葉に満ち、黒でなければ白というような内容で、文革を推進した」と赤い歌のキャンペーンに不快感を表している。

 一方で、重慶発のニュースは連日赤い歌を歌う人々の熱狂ぶりを報じている(http://www.youtube.com/watch?v=lFNiLMFr5tw&feature=related)。それにしても、彼らは自ら進んで参加しているのか。容易に洗脳されてしまっているのか。あるいは、上からの指示で仕方なくやっているのか。

 中国における革命歌は、出征経験のある日本人が懐かしむ軍歌のようなものだろう。仲間と共に分かち合う精神的な財産になっている。その上、拝金主義や不平等がはびこる現在とは異なり、医療も教育もほぼ無償で受けられ、貧しいながらも近所や家族のつながりが密であった古きよき時代を思い起こすことができる。私が長年調査を続けている湖北省の農村では、毛沢東の肖像画を掲げる家が少なくない。村の祭りや結婚式などで披露する出し物も、「赤い」時代に流行したスタイルのものが多い。

 中国は経済成長を急ぐ一方で、国民が共有できる「文化」を築くことができないでいる。そんななか、現状を否定的に見る人たちが「毛沢東時代への回帰」を叫んでいるのである。


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