オージーは先祖が囚人であることを誇りに思っている?
メルボルンの中心街に移民博物館(Immigration Museum)がある。真面目に参観すると半日以上要する。辛抱強く年代順に展示された英文資料を読めば、初期の囚人流刑地時代から現代までの変遷が理解できると思われるが、そこまで時間と忍耐力がない。
囚人は一定期間模範囚として刑期を務めると、仮釈放となりその後自由植民者となることができたようである。ちなみにタスマニアのスワンシーの郷土資料館での解説によると軽犯罪や微罪での流刑囚が大半であったので自由植民者となるものが多かったようだ。この郷土資料館ではパソコンで自分の祖先の名前をインプットすると祖先の罪名や釈放時期、入植地域等が検索できるシステムがあった。
余談であるが自分の祖先が流刑囚であることを誇りにしているオージーに何人も出会った。聞いた話を総合すると、当時の英国身分制社会では使用人や下僕が雇い主や地主に少しでも反抗的態度をとると犯罪者とされて流刑されることが常態化していたので、流刑囚の身分から刻苦勉励して自由植民者となった祖先を誇りに感じているということのようだ。
低賃金外人労働者はいつの世も嫌われ者? 「1901年白豪主義の成立」
1850年代にはゴールドラッシュにより大量の中国人苦力(クーリー)が流入。さらには19世紀末頃にはオーストラリア北部での砂糖などのプランテーションの労働者として太平洋の島々からの労働者が流入。こうした低賃金労働者の急増に危機感を抱いた英国系住民の反対運動が起こり、1901年のオーストラリア連邦建国と同時に、非白人系移民の流入を防ぐ「移民制限法」が成立し、白豪主義の法的根拠となったとの移民博物館の説明。連邦成立後の最初の議会で白豪主義が制度化された訳である。
20世紀初頭には米国でも日系人・中国人を狙い撃ちした移民排斥法が成立していることを思い出した。現代欧州でも同様の排斥ムードが蔓延しているし、トランプ氏に代表される米国保守派も中南米からの移民流入を嫌悪している。日本の国会論議でも外国人労働者受入れにより日本人の就業機会逸失や賃金の頭打ちや治安悪化を懸念する声が強いようだ。
古今東西を問わず、仕事を求めてやってくる新規参入「外国人労働者」に対しては残念ながら既得権益を守るべく排外的ムーブメントが起こる。歴史は繰り返すのだろうか。
⇒第11回につづく
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