チャイナタウンと化したシドニー中心部
11月4日。前日夜羽田を出発したフライトは早朝にシドニー空港に到着。小雨の中をシドニー中心部まで小一時間。郊外から市街地に入ると俄然中国人が増えてくる。ダーリングハーバー付近のゲストハウスを探して周辺をゆっくりと走る。中国人があまりにも多い。
ゲストハウスのレセプションのお兄さんは英語が余り通じない。中国語で聞いたら先月中国の南京から来たばかりという。このゲストハウスは数年前に中国人が買い取り、従業員も大半が中国人とのこと。ゲストも見たところ半数近くが中国系だ。
この中国系ゲストハウスは清掃や修繕にはほとんど配慮していないことは一目瞭然であった。室内外ともにゴミや埃が散乱。瓶や缶なども片付けていない。要は『安かろう悪かろう』を経営方針としているようだ。
近くの大型スーパーに食料を調達に行ったが、中国系留学生や観光客が目立った。特別の金持ちでもない限り、フツウの中国人は海外でも基本的に中華料理しか食べない。中国人の団体海外旅行では旅行会社が現地の中国系ホテル、中華料理店とタイアップしており朝昼晩と中華料理を賑やかに食するのが定番である。
中国からの留学生や個人旅行者は節約のため中華料理を自炊する。スーパーで彼らは野菜や肉類を価格と品質を吟味しながら大声でしゃべりながら時間をかけて買い物している。ちなみに中国人(漢民族)の特徴は話し声が他の欧米や他のアジア人よりも格段に大きいことである。それゆえスーパーで買い物をしていても直ぐに中国人であると判別できる。
シドニーの繁華街には「スシ」を提供しているレストランが日本食ブームを反映して無数にあるが、お持ち帰り用に「スシ」を売っている店も乱立状態である。こうしたテークアウトの店の従業員は大半が中国人アルバイトであった。彼らは「コンニチワ」「アリガトウ」など片言の日本語で挨拶する。欧米人は日本人の従業員と思っているかもしれない。
『英語は全く話せません』
11月27日。夕刻ブリスベン近郊の町シャイラーパークに到着。スポーツパークのBBQハウスで夜営することにした。近隣の住民が夕方の散歩をしている。
中国系母娘が公園の遊具で遊んでいた。彼女は中国東北部の遼寧省出身でご主人も同郷人。一人娘は2歳になったばかり。3年前に夫婦でオーストラリアに移住。ご主人は機械の技師でブリスベンの研究開発センターで働いている。最近シャイラーパークに一戸建て住宅を購入してブリスベンの中心部から引っ越してきたとのこと。彼女は多少の英語を話したが、やはり会話の大半は中国語。日常会話水準に到達するために「天天努力学習」(毎日努力して勉強しています)とのこと。
しばらくすると健康そうな中高年夫婦がやってきた。二人は西安出身。西安は嘗て唐の都の長安であった美しい古都である。夫婦の年齢は60台後半で私より数年上であった。娘夫婦を頼って移住してきたが英語が話せない(我不会説英語:ウオーブホイシュオインイ)ので苦労していますと明るく笑った。
『移住してきた中国人は大都市にしか住みませんよ』
11月28日。ブリスベン中心部のホステルに投宿。共同キッチンでは留学生の中国女子が水餃子(シュイチャオズ)とブロッコリー牛肉炒めを作っていた。彼女たちは上海近郊の出身。留学先のシドニーから遊びに来たという。オジサンはソーセージ、マッシュルーム入りトマトソースパスタを制作。三人で料理をシェアしながら夕食。彼女らの中華料理は中々のものであった。
彼女らによると中国では海外留学・海外移住熱が高まる一方という。中国では大気や水質汚染等の環境問題が深刻なので、生活水準が高く豊かな大自然のあるオーストラリアは特に人気が高いという。シドニーの大学でも中国人留学生が溢れているようだ。
彼女たちによるとオーストラリアに移住した中国人の99%はシドニー、メルボルン、ブリスベンという大都市に住んでいる。いくら美しい自然があるからといっても地方に住むことを希望する中国人は皆無なのだそうだ。二人の説明によると中国人にとり大都市に住むことがステイタスであり幸福のシンボルのようなのだ。
中国共産党支配下では最近まで戸籍制度が厳格に管理され、農村に生まれた人間が都市に移住することは不可能であった。農地と戸籍が一体化しており、ヨーロッパ中世の『農奴』と同様に農地から離れられない制度であった。農村生まれの優秀な子供が大都市の大学に合格して、卒業後に大都市の単位(職場)に就職した場合に例外的に農村から都市への戸籍変更が認められていた。
現在では戸籍制度は緩和されたというが、それでもなにか制限があるようだ。農村と都市では所得格差が大きく、二人によると現在でも中国人には強い“大都市信仰”があるという。