産業遺産の道、鉄道跡地のサイクリングロード
承前11月8日。ゴスフォードにはアジア系住民が多く町にはイスラム寺院もあった。途中で出会った地元の自転車マニアによるとゴスフォードの郊外のベルモントからニューキャッスルまで昔の鉄道跡地を利用したサイクリングロードが整備されているという。
サイクリングロードは全長30㎞、公園や森林の中を走る。偶に地元のサイクリストや散歩している家族に会うくらいで、美しい自転車専用道を独り占め状態。日本ではあり得ない贅沢に心が躍る。
途中に廃止された鉄道の線路が保存されているパートがある。また昔の駅舎やプラットフォームが保存されている場所では鉄道の由来が掲示されている。貨物鉄道として敷設され石炭、鉱石、木材をニューキャッスルに輸送してニューキャッスル港からオーストラリア各地に出荷されたようだ。また沿線の住民の足としても重宝されていたが、貨物が減少したことや幹線自動車道路網の整備により1970年代に廃線となった。
興味深かったのは鉄道の保線業務を請け負った地元企業の物語だ。元々木材を伐採して鉄道の枕木(sleeper)を作っていた地元出身の兄弟が始めた家族経営の会社であった。そのうちに鉄道会社から保線業務を請負うようになった。作業員は鉄路の脇に天幕を張って野営するという過酷な労働条件である。当時オーストラリア先住民のアボリジニには満足な仕事がなく現金収入がなかった。兄弟は率先してアボリジニを雇用して最盛期には従業員の95%はアボリジニであったという。
河畔のフリーキャンプ場は大賑わい
11月11日。カルーア河畔のブラデラ(Bulahdelah)は19世紀末に建設された人口数百人の閑静な町であった。当日は土曜日で小さな公園ではフリーマーケットが開かれ15軒くらいお店が出ていた。手作りのジャムやピクルス、魚の燻製、家庭菜園の野菜など家庭的雰囲気でオーストラリアの田舎の素朴な家庭が垣間見えた。
町外れのカルーア河畔にフリーキャン場があるというので、町に一軒しかないスーパーでワインと食料を買い込んでキャンプ場に向かった。驚いたことに50台以上ものキャンピングカーが木陰に並んでいた。テントを設営して一息ついていると隣のキャンピングカーのカップルが声を掛けてきた。
彼らはオーストラリア全土を一年かけて周遊する計画でありオーストラリアのキャンプ事情を教えてくれた。オーストラリアではキャンピングカーに限らず自動車で寝泊まりすることは指定されたキャンプ場以外では原則禁止されているという。オートキャンプ場は多数あるが一泊30~50豪ドル(2400円~4000円)を徴収される。これは電気・水道などの使用料込みであるが観光地や国立公園などでは特に高い。
従って公営のフリーキャンプ場には多数のキャンピングカーが集まるという。こうした公営キャンプ場では通常充電設備はないが、キャンピングカーは大型バッテリーを備えているので数日間であれば全く問題ないという。
夕方になると多くのキャンパーが犬を散歩させるので、犬どうしがはしゃいで賑やかになる。犬が静かになると夕暮れのお食事タイムである。
翌日早起きしてテント撤収作業をしていると、向かい側のキャンピングカーの白髪のご主人がモーニングティーを差し入れてくれた。リタイアした夫婦で孫娘二人を連れて一週間の予定でシドニーからホリデーコーストまでキャンプして周る計画という。ご夫婦の幸せオーラが眩しかった。
海辺の湿地帯のデコボコ道で“ワニ注意”と言われても
11月15日。朝方の小雨が止むとギラギラと紫外線たっぷりの日差しに晒される。交通量が多く単調な景色の幹線道路を外れビーチ沿いのオーシャンロードを目指して進む。周囲はサトウキビの大農場が広がっているだけで人家が見えない。
グーグルマップを頼りに進むが次第に道が細くなり、舗装が無くなりラフロードになった。Coralville Roadと表示されており海岸近くまで続いているようなのでグーグルマップを信じて深い森の中を進む。なぜか道が大きな洗濯板のように波打っている。巨大な洗濯板がどこまでも続いているのだ。どうしてこのようなデコボコが形成されたのか不思議であった。余りにも凹凸が極端な区間はペダルを漕いでは進めない。自転車に乗ったり降りたりを延々と繰り返しながら強烈な太陽の下を進んだ。
海岸に近くなってくると道路の周囲は湿地帯に変わってきた。やたらと蒸し暑い。突然『ワニ出没注意』の標識を見つけて仰天。途中でDiamondhead Roadと表示が変わったが、依然として激しい洗濯板条のデコボコが延々と続いた。
人食いワニ生息地帯を早々に脱出したいが、洗濯板道路ではのろのろ前進しかできず焦慮。ここでクロコダイルに遭遇したら御名御璽お陀仏である。真昼の熱暑に参ってワニが昼寝をしていることを祈りながらソロリソロリと前進。
こうして2時間余り長大洗濯板と格闘。やっとオーシャンロードに出たが、やわらかい砂地のためタイヤが沈んでしまい今度は一時間余り自転車を押して歩くことに。国立公園のド真ん中らしく人家や店が一切ない。自然公園なので電気や水道というインフラが一切ないのである。
たまにトイレが設置されているが水洗はなく、雨水を貯めたタンクの水で手を洗うだけである。広大な国立公園の敷地を抜けるまで給水場がない。合計四時間余りのラフロードでの無給水&孤軍奮闘を経てやっと舗装道路に出た。
国立公園の出口近くで十数人のサイクリストのグループに遭遇。彼らには数台のランドクルーザーが補給・修理・救護のサポートとして同行していた。