2024年11月21日(木)

オモロイ社長、オモロイ会社

2019年3月7日

自分がずっと貧しいと思っていた幼少期

 最近になって、テレビを持たない、見ない家庭もチラホラ見聞きするようになってきましたが、今から20年ほど前の日本の世の中でテレビがない、電話がない、電子レンジ、クーラー、車もないと聞けば、なかなか驚きの領域と感じます。

 そのような家庭環境で育った、鳴海さん。自分ではずっと貧しいと思って小学校に行く頃には劣等感の塊となっていたそうです。そこから「物欲」が人一倍強くなったと話します。近所の粗大ゴミが捨てている場所から、テレビを拾ってきて自宅に取り付けるも、アンテナの存在が解らずテレビを見られなかったことや、お年玉を叩いてコードレス電話を購入、同じ敷地内に住んでいた祖父母宅の電話を取り替え、自分は子機で電話をかけるという戦略を実行するも、祖父母の家の電話がダイヤル式黒電話であったため、電話のモジュラージャックが取り付けできずに自分で電話工事にチャレンジするなど。

 しかし、食事でひもじい経験をしたこともなく、塾にも行かせて貰っていたり、大学の学費も親御さんが出してくださったりと。ある意味モノに対しての考え方がハッキリした家庭に育ったということ、鳴海さんはお陰で、欲しいモノを手に入れるためにどうすればよいか? その解決に人一倍強くなったと話します。

欲しいモノを買うために自分が売る(商売)を身につける

【服が欲しい為に服を買い→売る】

 高校に入学すると益々物欲が加速していた鳴海さん、丁度入学した高校で周りにいた同級生が、経営者層、医院開業している等の富裕層達の子息が多くいたそうで、ロレックスの時計を普通に持っていたり、遊びに行くのにタクシーに乗車も普通。中でも、デザイナーズブランドが一世風靡していた頃と重なり、数万円の上下のブランド物を着ている友人もいました。

 そこで情報格差を基点にした、商売を思いついたそうです。

【東京と和歌山の情報格差】

 トレンディードラマで着ているブランド服が欲しいと思った鳴海さん。そこをぐっと我慢して和歌山の友人たちにプレミアを付けて受注を取り、青春18キップを購入して上京し、多数の服を買い込みその収益から自分の欲しいモノを得ることに。

【和歌山と東京の情報格差】

 東京に通うようになり、和歌山では流行る前の情報が手に入るようになった鳴海さん、東京で品切れ状況になっているモノをいち早く察知し、和歌山で買い占めそれを当時流行りの個人売買雑誌に投稿、東京中心に全国に流行を追う若者に前金制で販売していたそうです。この頃月間売上30万を超える時期もあったそうです。

 このように東京を行き来しながらある種「貿易」に親しい商売を身に着けていた鳴海さん。高校の勉強の方はかなり疎かに、希望の大学に程遠いと先生から宣告されるものの滑り止めを設定することもなく、入りたかった大学へ、その大学へは全ての学部を受験し5回チャレンジするも全て不合格、もう駄目かと3月にあった最後のテストで6回目のチャレンジで合格できそうで、その時に人生なんとかなる、やればできるを確信したそうです。

【PCが欲しい→自分で組み立て→売る】

 大学に入学した90年代後半は空前のパソコンブーム。物欲真っ盛りの鳴海さん、ここで単純に購入するのでなく、自分で組み立て販売してみるということにチャレンジを始めたそうです。和歌山のフリーペーパーにパソコン販売の概要を掲載したところ大当たり、1年間で100台の受注に成功したそうです。この頃に自分が欲しいモノを売るということに気づきはじめていたそうです。

インターネットの登場でビジネスが加速化と、どん底双方を体感

 パソコン販売で纏まったお金で次の欲しいを見つけたのが、クルマだったそうで。当時カッコイイと言われたスポーツカーを購入したものの、オートマ、ノンターボ。全くクルマについての知識が無かったところに、買ってしまった。そこで鳴海さんは、買ったモノの「改造」に着手します。

 オートマを自力でマニュアル車へ、ノンターボをターボ車にせずに、改造を重ねてターボ車以上の性能へ。パソコン、クルマに関わり始めた頃から、組立、改造とモノづくりにも近づきはじめていたところインターネットオークションがスタート。高校時代にネットオークションの原型であったオークション(個人売買)雑誌で既に全国にモノを売っていた経験からネットへのアレルギー反応もなし。

 加えてパソコンにも詳しくなっていたこと、自分の欲しいものは売れるという根拠なき自信からいろんなモノをネット上に掲載するようになっていたそうです。ある時は100円ショップで買ってきた工具を1000円以上で掲載するとバンバン売れる、時には100倍、1000倍になって売れたものも出てきたそうです。例えば、

  • 古本屋の事例では、和歌山県内の古本屋で全巻50巻分のうち20巻、別の古本屋で残りを購入し、全巻セットに瞬間に数倍の値段が付いたことも。
  • オープンカーの屋根用の補修材を自分で製作、ホームセンターで販売していたビニール材を購入、カッテイングしてネット上で、正規品の半値くらいで販売、原価は5%程度、収益も相当になり稼ぐ等々、この頃には売上が100万円くらいを月に稼ぐ大学生になっていったそうです。
  • 就職活動をすることなく起業の道へ。

 大学生活後半でクルマに関連してインターネットで販売するという事を主に業合にしていた鳴海さん、中学生の時の夢だった教師になる夢を持っていましたが、自分が本当にしたいことは何か?と考えた際に、やはり「商売」をしたいという結論に。

 2003年大学卒業と同時に自動車販売・修理のRMガレージという屋号で、1人で創業(国民金融公庫で2000万円の借金)し、3年で売上2億円に到達、4名体制の事業家になるも、そもそも、事業損益、経営についての勉強をしたこともなく、特に自社のキャッシュフロー管理も一切することもなかったことから、売上が上がるほど手元資金が枯渇していく状況となり、銀行取引についての知識もなく、融資も望めないところから、個人のカードローンが膨れ上がる始末になっていきました。


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