2024年5月3日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年10月24日

孫文が唱えた民族の「統一」

 土地ばかりではない。人も同じである。革命運動を指導し、建国成った中華民国の臨時大総統に就任した孫文は、1912年1月1日に「臨時大総統宣言書」を出した。そのなかで、

漢・満洲・モンゴル・ムスリム・チベットの諸地を合わせて一国とするとは、即ち漢・満洲・モンゴル・ムスリム・チベットの諸族を合わせて一人とすることであり、これを民族の統一という。

 ととなえた。この五族の「統一」とは、漢民族が他民族の上にたち、「中国」の一体化・主権国家の統合を主導することにほかならない。

 孫文はのちに、このことを「わが中国のすべての民族が融合して一つの中華民族とならねばならない」と表現するが、「満洲・モンゴル・ムスリム・チベットをわが漢族に同化させ」るというのが、その具体的な内実である。そのプランは、孫文がことさらいうまでもなく、程度の差こそあれ、着々と実地にすすめられた。

 だからこそ、モンゴル・チベットやムスリムは、それに反撥する動きを強めた。歴史的にみても、漢民族に服属するいわれはないからである。その反撥に対し、今度は漢民族側が反撥して、武力による制圧をも辞さない。20世紀の中国史は、そのくりかえしだったといってよいし、いまだ収束せぬ現在進行形のプロセスでもある。アメリカの報告書のいう「強制的な同化」とは、まさにその事態を指している。

辛亥革命が「過去の歴史」になりきらないのはなぜ?

 一週間ほど前、10月18日に終わった中国共産党の6中総会(第17期中央委員会第6回総会)は「文化」を議題とした、やや異例のものだった。統制された独自の「中華文化」の創出振興をめざすという点、普遍的な「人権」を重んずるアメリカの報告書と対蹠的である。

 そこで採択されたコミュニケのなかに、「中華民族の復興」という文言がある。いわゆる「中華民族」とは、いろいろと説明はされても、内実はけっきょく、孫文の表現したそれとほとんどかわらないから、各「少数民族」「独自」の多元的な「文化」を実際に尊重、容認することは期待できまい。それはやはり歴史的に続いてきた「中国」政府のかわらぬ姿勢でもある。

 辛亥革命はたしかに百年前の歴史である。しかしそれが過ぎ去った過去の歴史になりきらないところに、中国の難しさがある。「人権」「民族」に限らない。それは隣国たる日本の立場の難しさにも、また直結しているのである。
 


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