2022年8月17日(水)

WEDGE REPORT

2019年4月16日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

戦後15人のうち3人が昇格

 チェイニー氏は脚光を浴びることを一貫して避けて実権をふるったが、同じ職にあった他の人たちは、閑職に甘んじて任期を終えたのだろうか。過去の副大統領をみれば、事実は逆、大統領職を射止めたり、当選は逃したものの激しい選挙戦で存在を誇示した副大統領が少なくないことがわかる。 

 第2次大戦が終了した1945年からの副大統領をみてみよう。

 フランクリン・ルーズベルト政権時代(民主党、1933年―45年)のハリー・トルーマン氏。政権4期目が始まって間もない45年4月、大統領が急死したため、その後を襲った。大戦終結を急ぐために日本への原爆投下を承認したといわれ、日本人には忘れられない存在だ。

 突然の就任には戸惑ったらしく、「戦争の詳細も知らされていない」「外交にも自信がない」と弱音を吐くようなところもあったというが、1948年の大統領選では共和党の強敵、ニューヨーク州知事のトマス・デューイ候補との接戦を制して堂々と2期を全うした。

 1963年11月、ケネディ大統領(民主党)が暗殺された後に昇格したのはリンドン・ジョンソン氏。ケネディ氏の残り任期終了後、1964年の選挙に出馬、当選して〝自前〟の政権を組織した。再選めざした1968年の選挙は、現職でありながら党内から挑戦をうける苦しい展開、緒戦、ニューハンプシャー州予備選で敗北しかけたのを機に、選挙戦から撤退、退陣を決断した。当時、ベトナム戦争の戦局が不利に傾き支持率が低下していたことに加え、故大統領の実弟、ロバート・ケネディ上院議員が〝参戦〟したことから、勝利の可能性は消えたと判断した。

 ジェラルド・フォード氏(共和党)が1974年に大統領に就任したのは、リチャード・ニクソン氏がウォーターゲート事件で、その職を辞したことを受けてだった。

 フォード氏のケースは、ややは複雑な経緯を伴う。

 副大統領ポストは、大統領候補が選挙中に指名、有権者は正副大統領をコンビで選出する。ニクソン氏とともに選出されたスピロ・アグニュー氏がメリーランド州知事時代の脱税疑惑で1973年に辞職したため、共和党下院院内総務だったフォード氏がニクソン氏から指名された。そのニクソン氏も翌年、任期半ばでホワイトハウスを去ったため、フォード氏は「選挙の洗礼を受けないはじめての大統領」として就任した。

 1945年のトルーマン氏から現在、トランプ政権のマイク・ペンス氏まで副大統領は15人。そのうち大統領に昇格したのが3人、率にして20%にのぼるから、決して少ない確率とはいえない。これをみても、「もっとも不必要な職」(初代副大統領、第2代大統領のジョン・アダムズ)などという評価は的外れであることがわかる。

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