断食往生死を阻む認知症
こういうことが可能になったのは、西行が食のコントロールをし、おそらく日常的に断食修行をやっていたからだと思います。多くの僧侶がそう。大体、余命ひと月くらいの段階から、断食に入った。最初は五穀断ち、十穀断ちを始める。
それから緩やかな断食。1日断食、2日断食というのを始めて、あともう1週間ぐらいで逝くなという段階で水断ちをします。そうすると、自然に、すっと死んで逝ける。そして、亡くなる直前に奇跡が起こる。霊験という幻覚ですね。阿弥陀如来が現れ、手を差し伸べて、頭をすっとなでてくれる。すると翌日、静かに息絶えた……と。
しかし、なかにはそううまくいかずに、地獄の苦しみを味わいながら、叫び声を上げながら死んでいった、という記録もないわけじゃない。
鵜飼:こう考えると、逆に西行は死をポジティブに捉えていたというところがありますよね。日常的に自分の死を見つめていたからできたことですよね。どういう死にざまが理想なのか、人生をかけて思考しないと、こうは至らないですよね。
山折:人間の肉体というのは、最後は衰えて枯れていく。「枯れる」という言葉は、決してネガティブな意味じゃなく、ある種の成熟なんです。だから、歌人の藤原定家や、天台座主の慈円なんていうのは西行の死生観に感嘆したんです。「西行というのはすごいな。自分が思うようなときに死ぬことができた」と。
僕は今年88歳になりました。じつは、もうそろそろと、思っているんです。西行さんをまねるわけじゃないけれども、断食往生死でいこうかとね。そう思うような80代になったとき、僕は「飲み過ぎない、食べ過ぎない、人に会い過ぎない」という3原則を立ててみたんです。いつもそれを破っているんだけれど。人に会い過ぎると、つい飲み過ぎるんだよな(笑)。でも、それもそれで楽しくないわけではない。そんなジレンマの中で生きるということは、ある種の喜びや楽しみでもあるわけですよ。
だから僕は断食往生死の原則を立てつつも、現実の苦楽を味わいながら、それでも何とか西行さんのような最期に近づくことができないかなと幻想している。
だけど認知症になると、その決断さえもできなくなるかもしれないね。そのときはその境遇を受け入れることが大事で、あとのことは共同体に任せる、天に任せるしかない。そういう意味では、令和の時代は、失われたムラに代わる共同体・コミュニティーをいかに作り、日本の伝統的な社会を再現できるか、それがあらためて問われているように思います。
■「看取り」クライシス 多死社会が待ち受ける現実
PART 1 「終末期」の理想と現実 ギャップは埋められるか
PART 2 医師不足で揺らぐ「終の棲家」 地域医療の切り札「総合医」は育つか
PART 3 今後急増する高齢者の孤独死 防ぐための手だてはあるのか
PART 4 高齢者を看取る外国人たち 人材難の介護業界に必要な整備とは
PART 5 山折哲雄氏インタビュー「死はいつからタブーになったのか?」 90歳を過ぎたら”死の規制緩和”を
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