とはいえ、「各《宗族》の代表による村党支部・村民委員会の再組織」という主張は、全ての村民の意見が個人の意見として尊重され、その集積として村民自治を構築するというよりも、宗族という末端の利益集団を社会の基本的単位として、各宗族が等しく村政という資源に均霑することを求めているものであろう。それが新「党総支部」を通じて首尾良く実現されたのち、もし各宗族が新たなクライエンテリズム(コネと権力の占有が生み出す上下関係)の末端となるのみで、多くの人々がそれに安住してしまうとすれば、逆に「宗族間の利害調整」という枠組みに異議を申し立てる個人の訴えが封じ込まれる可能性も否定できない。宗族という末端の社会的結合は、たしかに同族の血縁集団として個人個人に近い存在であるかも知れないが、宗族の内部においても厳然とした権力関係や格差がある。発言権のある者が専横し、発言権のない者はいつまでたっても利益に与れない可能性もある。
したがって、烏坎モデルによる村落自治の「再編」は、事が丸く収まってしまった後は従来通りの党・国家システムの温存に過ぎなくなる可能性もある。仲介に入ったかたちの省党委員会書記・幹部は、さながら「道徳」「情理」に沿った温情的な判断を下して紛争を収束させたことで成績を上げ、少なくとも党官僚制のピラミッドを登るかも知れない。
とはいえ、もしそれがその場だけの「情理」に過ぎず、民主的な村民自治の制度化に向けて中央と経験を共有し、引き続き矛盾を生み出す政治社会の変革に取り組むのでなければ、事件の教訓は活かされないことになろう。今後も単に事件が起こる都度「道徳」「情理」を小出しにして、人々から「なるほど、中国共産党は腐敗にメスを入れて正しい」という印象を調達するに過ぎなくなり、腐敗を生み出す根源としての一党支配のピラミッドには何一つ手が付けられないままとなるのである。そのような状況の下における「民主」とは、あくまで個別事例ごとに共産党がお墨付きを与える限りでの、共産党の決定を期待し擁護する「民主」に過ぎないのであり、恐らく共産党も「基層民主」をその範囲にとどめておきたいと考えていることだろう。(後篇につづく)
◆本連載について
めまぐるしい変貌を遂げる中国。日々さまざまなニュースが飛び込んできますが、そのニュースをどう捉え、どう見ておくべきかを、新進気鋭のジャーナリスト や研究者がリアルタイムで提示します。政治・経済・軍事・社会問題・文化などあらゆる視点から、リレー形式で展開する中国時評です。
◆執筆者
富坂聰氏、石平氏、有本香氏(以上3名はジャーナリスト)
城山英巳氏(時事通信中国総局記者)、平野聡氏(東京大学准教授)
森保裕氏(共同通信論説委員兼編集委員)、岡本隆司氏(京都府立大学准教授)
三宅康之氏(関西学院大学教授)、阿古智子氏(早稲田大学准教授)
◆更新 : 毎週月曜、水曜