2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年2月18日

 中華人民共和国がもし本当に「統一された多民族国家」であるのならば、その一部分で始められた民主的な地方自治の試み=烏坎モデル(?)は速やかに全国へと広げられるべきであり、当然の前提として政治的な意見表明の自由も認められるべきであろう。しかしそのようなことになれば、少数民族が即座に中国からの独立を求めることになるのは、2008年以後のチベット問題、09年夏のウルムチ事件、そして11年の内モンゴル抗議運動など、漢人と少数民族対立が極点に達している状況からして余りにも明らかである。

 では、漢人社会には自由で民主的な自治を認め、少数民族には一切それを認めず、相変わらず森厳たる軍事力や警察力で抑圧を続け、少数民族地域の経済的利益を漢人(及び中国語を母語とするムスリムの回族)資本がほしいままにするのであれば、それは中国が激しく憎む日本帝国主義の植民地支配と同じようなものに過ぎないだろう。いやそもそも、「漢族は56の兄弟民族からなる祖国大家庭における最も先進的な存在であり、漢族がおくれた少数民族を発展の道に導くことは中国の特色ある社会主義の先進性のあらわれ」なる言説が何らの躊躇いもなく横行すること自体、この国家を国家たらしめるものは大漢族主義そのものであり、大東亜共栄圏論の出来の悪いコピーに過ぎない。したがって、既に明白に漢人優位となっている国家において、さらに「祖国中華」への忠誠心の度合いに応じて政治的権利の付与に差をつけるとすれば、それは改めて明白に「少数民族は能力と忠誠心の両面で劣っているので二等・三等国民に過ぎない」と宣言するようなものである。そのあかつきには、さらに少数民族の怒りを激発することになろう。

このままでは少数民族との大混乱は避けられない

 あるいは、かりに今ただちに全面的な自由と民主を中国の全ての人々に付与し、統一と独立について自由に論じうるようにするとしたら一体どうなるか? 清末以来の中国ナショナリズムのもと、漢族の優越なる観念が骨髄まで染み込んでいる中国の多くの人々は、多数決原理に即して少数民族の独立を全力で阻止し、「恩恵に感謝しようとしない分裂主義者」と名指しされた少数民族とのあいだで大混乱が起こるかも知れない。とくに、既に人口と政治資源の面で少数民族が決定的に不利となっている東トルキスタン=新疆ウイグル自治区や南モンゴル=内モンゴル自治区においては凄惨な自体となることが予想されるし、漢・回・チベットなど複数の民族が複雑に入り乱れている甘粛・青海省などはユーゴスラビアと同じような事態とならないと断言できない。現下の中国においてとりわけ少数民族の立場に同情的で、共産党の少数民族政策に批判的である作家として知られる王力雄氏も、この大混乱の可能性を恐れて即時かつ完全な自由と民主には躊躇しているのが実情である。

 したがって、少数民族の異議申し立てと「大漢族主義」の弊害が衝突する可能性を回避し、「神聖なる祖国の統一」と経済発展を堅持しようとするのであれば、中国国内で地域ごとに民主化実現度の差をつけて分割統治するよりも、最初から中国全体の自由化・民主化など避けた方が良いことになる。

中国人に突き付けられる究極の選択肢

 かくして、中国の人々には究極の選択肢が待ち受けていることになる。

 中国における真の自由と民主の実現と国際的な尊敬を望むのであれば、「大漢族主義」の矛盾が根深い現状では少数民族の独立論は抑えられない以上、中国地図が今のかたちであることを諦めなければならない。これは中国近現代史における中国ナショナリズムと少数民族の不幸な関係の絶対的帰結である。

 中国の巨大な領域と、漢人主導の共産党が「おくれた」少数民族を多数従えて「正しい」発展に導いていることを誇りに思い、「偉大な祖国」への忠誠を覚えるナショナリストであり続けるのであれば、それらの価値に比べて自らの自由と民主などは全く大したことはないと諦めなければならない。

 それではもう一つの選択肢として「大漢族主義」を捨て、完全に各民族が平等な社会をつくれば良いではないか? しかしそれは、漢族優位の価値観と不可分な近代中国ナショナリズムと抵触する。


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