ミルトン・フリードマンの弟子
第三の要因は、他ならぬグエデス財務相だ。
ボルソナロ氏の大統領就任に当たり、ビジネス界はその極右的言動に眉を顰めながらも、唯一、グエデス財務相に希望を託しボルソナロ政権を支持した。グエデス氏とは何者か。
グエデス氏は1970年代シカゴ大学に留学、ミルトン・フリードマン教授に師事した。あのマネタリストの総帥とされる経済学者だ。その思想は新自由主義といわれ、端的に言えば、政府の介入をできるだけ抑え市場の自律性に委ねるというものだ。この薫陶を受けた人々が俗にいうシカゴ・ボーイズだ。かくてグエデス氏は市場の自律性こそが経済活性化のカギと確信する。帰国後チリにわたり、サンチアゴ大学で教べんを取るが、それが丁度ピノチェト政権の時だった。後にグエデス氏は、チリの経済政策をこの目で見たのは得難い経験だった、と述懐している。
チリでは、1970年代、アウグスト・ピノチェト将軍がクーデタを起こし軍事政権を樹立した。そのピノチェト氏が強力に推し進めたものこそ、新自由主義に基づく経済の自由化だった。これは当時のラテンアメリカでは画期的だった。当時、ラテンアメリカの軍政はこぞって輸入代替政策を推し進めた。外から完成品を買い付ければ産業育成が進まない。輸入を制限し、代わって国内産業を育成して工業化を進める。
しかし、この輸入代替政策はやがて80年代の累積債務問題を契機に次々と行き詰っていく。当時、IMFは、この輸入代替政策こそ、停滞のラテンアメリカと飛躍のアジアを分かつものとして激しく攻撃した。IMFが輸入代替政策に代え実施を求めたのが、新自由主義に基づく経済の自由化と輸出促進政策だった。つまり、チリは、他のラテンアメリカ諸国が輸入代替政策に明け暮れていた時、いち早くその愚を見抜き輸出促進に舵を切った。先見の明があったのだ。チリが他のラテンアメリカ諸国を凌駕し高い成長率を維持し続けたのは、まさにその輸出促進政策ゆえだった。
「ブラジルはこの40年、大きく変革する世界経済から隔絶され取り残されてきた。社会民主主義的な保護政策こそがブラジル経済停滞の元凶だ。今こそブラジルは、国を外に開き、市場に競争を取り入れ、眠っていた経済を活性化しなければならない」とグエデス氏は強調する。同氏は、さらに、民営化推進、税制改革、財政支出のシーリング設定等の支出削減計画を進める構えで、これにより今後10年で更に850億ドル(約9300億円)が捻出されるという。
さて、グエデス財務相の拠って立つ思想が新自由主義であるとして、他でもない、その新自由主義こそが今、隣国チリで国民の批判の矢面に立つ。国民は、長い間の新自由主義が国民の格差をこれほどまでに広げてしまった、経済は富裕層の利益を優先し、貧困層は何ら均霑するところがなかった、として怒っているのだ。