2024年12月22日(日)

WEDGE REPORT

2019年11月12日

チリの首都サンチアゴ

 何やらラテンアメリカがきな臭い。10月31日、チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領は高まる国内の不穏な空気の中、ついにAPECとCOP25(国連気候変動枠組条約締結国会議)開催を断念した。米国のトランプ大統領は、急遽APECの際行うことを予定していた米中首脳会談を、どこか他で行うべく調整中とされる。APECの開催断念はこれまでなかった事態だ。

 チリでは、政府が地下鉄運賃値上げを決めたことに国民が反発、この3週間余り連日デモが続いている。ピニェーラ大統領は燃え上がる抗議の嵐を前に、18日、戒厳令を布告、更にその後、夜間外出令を出したが、抗議は収まるどころか逆に燃え上がった。大統領はやむなくこれらを解除、閣僚の8名を交代させるとともに、年金最低支給額の2割引上げ、最低賃金の引上げ、貧困層の医療負担削減等、融和策を明らかにした。しかし、既に死者20人に上り、なお混乱が収まる気配はない。

 ところで値上げされた地下鉄運賃は30ペソ、日本円にして4円ほどだ。どうして国民は少額の値上げにこれだけ怒りを露わにするのか。

 否、不穏な空気はチリだけでない。ボリビアについては拙稿「ボリビア大統領選の裏の構図」で述べた。エクアドルでは、政府が燃料補助金を廃止したことに国民が反発、デモのあまりの激しさに、大統領は首都を一時移転した。ハイチ、ホンデュラス、ベネズエラ、ペルー等、ラテンアメリカで国民の抗議は燃え盛るばかりで沈静化の気配は一向にない。一体、ラテンアメリカはどうしてしまったのか。これらは互いに脈絡なく起きているのか、あるいは、そこに共通原因があるのか。

中間層はラテンアメリカを変えるとまで言われた

 時計の針を20年ほど巻き戻してみる。ラテンアメリカが一次産品ブームに沸き、アジア共々、21世紀を担う期待の星と騒がれたのは今世紀初頭のことだ。一次産品ブームは主として中国による買い付けが背景にあった。ラテンアメリカはどこも、急速に発展する中国の需要を受け、かつてないブームに沸いた。2003年から2013年の10年間、ラテンアメリカの一人当たり成長率は3.5%を記録する。好調な経済は、それまで貧困に苦しんでいた人々を救い出し、新たな中間層が形成された。その数、約1億人という。当時、この新しい中間層はラテンアメリカを変えるとまで言われた。

 ラテンアメリカは所得格差が最も大きい所だ。一握りの富裕層が国の政治経済を牛耳り、多くの国民が貧困に泣く。社会は分断状態にあり、国民の間に連帯感がない。ここが日本などと大きく違うところだ。「総中流社会」は過去のものとはいえ、世界の中で見れば日本に極端な金持ちも、極端な貧乏人もいない。しかし、ラテンアメリカは違う。過去の植民地制度が影を落とし、今も白人が大土地所有制を維持する。貧困層から見れば、富裕層は富を私物化し、不当に貧困層を苦しめる搾取者に過ぎない。実際、ラテンアメリカは世界で最も汚職が横行するところとされる。国のトップに対する国民の信頼度は低い。こういうところに社会の連帯は生まれない

 そういうラテンアメリカが抱える宿痾ともいうべき「社会の分断」は、この一次産品ブームがもたらした新たな中間層の出現により克服されたといわれた。中間層は民主主義の根幹だ。そこがしっかりしていると社会の安定度が増す。金持ちでも貧乏でもない、社会の中間に位置する人々が増えれば、社会の分断は克服され社会は安定していく。

一次産品ブームが去り、「社会の分断」が露わに

 しかし、事実はそうでなかった。一次産品ブームが去り、経済が下降線をたどるにつれ、ラテンアメリカが根底に抱える「社会の分断」が露わになった。社会の分断は単に一次産品ブームにより隠されていたに過ぎなかった。

 一次産品に依存する経済は脆い。一次産品の国際価格は常に変動する。高値の時はいいが下落すれば目も当てられない。だから、いい時に余剰資金を使い、新たに出現した中間層を中心に産業の多角化を図るべきだった、といわれる。正論である。当の一次産品産出国自身がそれを十二分に自覚する。しかし、これは言うは易く行うは難し、である。

 チリはそれでもラテンアメリカの中では産業化の優等生だ。それにもかかわらず「銅」という資源に依存する体質から抜け出ることができない。他のラテンアメリカ諸国は推して知るべしだ。世界を見渡しても、資源国が産業化の離陸を果たせずにいるところはいくらでもある。ロシアがまさにそうだし、中東は言うに及ばずアジアでもブルネイ、東ティモール等、皆、「分かっていながらできない」。

 一つには、産業化と一口に言っても様々な要因が絡む。安価な労働力や豊富な余剰資金の存在(あるいは、調達可能性)、技術導入の意欲、それを消化できる人的資源の存在、乃至、教育による育成、政府による積極的振興政策等だ。どの国もがこれらの要因を満たし、容易に離陸できるというわけではない。それより何より、「資源の罠」といわれるものの存在がある。


新着記事

»もっと見る