立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2020年1月7日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

「逃げるが勝ち」の本質とは?

 日本人の美学と世界の「実学」の乖離。もう少し「雑学的」に捉えたほうがいいように思える。「自身の潔白を証明するために、堂々と裁判に向き合う」というのは、正論である。監獄で死刑を待つソクラテスに古くからの友人が訪ねてきて脱獄を勧める。「善」を追求し続けたソクラテスは脱獄することは法律を破ることになり、たとえ悪法であっても法を破れば、同じ「悪」をなすことになるから、それはできないと脱獄を断って、最終的に死を迎え入れた。

 だれもが、ソクラテスのような偉大な哲学者ではない。人生は一度しかないわけだから、「逃げるが勝ち」というのも、選択肢になり得る。

 戦うには、まず戦うルールがある。そのルールの段階で負けていたら、まず逃げること、戦う土俵を別途作り上げること。それ以外に方法はない。美しく死ぬよりも、まず醜くても逃げること。その辺は日本人的な美学とは相容れない。

 現実はどうであろう。

 フランスのル・ポワン誌が昨年12月31日ネットで行った統計によると、読者のうち75%がゴーンの日本からの脱走に賛成している。フィガロ誌のオンラインでの統計でも回答者の82%が、ゴーン氏の逃亡は正しいことだと考えている。アメリカのウォールストリート・ジャーナルも、1月1日に掲載した社説にて、日本の司法制度に鑑みればゴーンが日本から逃亡したことは理解できることだと書いている(1月2日付東洋経済オンライン)。レバノンでもゴーン氏を支持し、「英雄」の帰国を歓迎する声が相次いだという。

 欧米だけでなく、「三十六計逃げるに如かず」という中華系の文化もあるように、最終的な勝利を勝ち取るための「逃げ」を正当な手段として捉える傾向が非常に強い。

 ゴーン氏自身も「逃げ」を、正義を取り戻すための唯一の手段と考えていただろう。推定無罪の原則があって、その下で「不当な裁判」よりも「正当な裁判」を求めたいから、その選択権を「不当な手段」で手に入れたわけだ。「不当には不当で対抗する」、つまり「毒をもって毒を制す」。繰り返しになるが、この辺は美学的な戦いになっても、勝負がつかない。いや、土俵が違って勝負ができないからだ。

 ゴーン氏は逃げるだけで済む小物とは思えない。彼はレバノンでの裁判(フランスもあり得るが)を望んでその可能性を模索しているようだ。それでレバノン当局が日本に捜査共助や司法共助を申し出た場合、日本は逆に難しい立場におかれる。事件の機微な内容だけでなく、日本の司法制度の問題も露呈するからだ。さらに、ゴーン氏がレバノンでの裁判で無罪になった場合、日本はどうするのか、非常に悩ましい。

 元検察官・弁護士の郷原信郎氏は、「重要なのは今後のことだ。ゴーン氏事件の検察捜査はあまりにデタラメだった。レバノン政府に対してゴーン氏の身柄引渡しを求めても、果たして国際社会に通用するだろうか。狭い日本の司法だけの問題ではなくなったといえる」と指摘した(2019年12月31日ツイッター)。

 ゴーン氏は日本人ではない。日産の救済は、ドラスティックなリストラに頼らざるを得ない。そのやり方は誰でも分かっていた。けれど、日本人では手を出せない。そこで彼の手を借りた。いわば、日本的なルールに則らないゴーン氏を使って、日産の問題を解決しておきながらも、今度日本的なルールを彼に当てはめようとした。これが甚だ不公平であって、論理的倒錯であると、少なくともゴーン氏はそう思っただろう。だから、彼は「逃げ」という形を取って、これから復讐を仕掛けてくるだろう。

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