2024年12月14日(土)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2020年3月20日

 3月1日、マハティールの突然の辞表提出から政治的な大変動の1週間を経て、ムヒディンが第8代の首相に就任した。しかし、彼の政権は舞台裏の取引きで成立した。選挙の洗礼を得ておらず、UMNOの政権への復帰は2018年の選挙結果(UMNOの大敗、当時の野党連合に担がれたマハティール政権発足)の精神に反するとの抗議の声があがり、議会に不信任決議案が提出される可能性が指摘されていた。しかし、不信任決議案を封じるためと思われるが、ムヒディン新首相は3月4日、下院の招集を当初予定されていた3月9日から5月18日に延期すると発表した。先行きは不透明である。

NaLha/iStock / Getty Images Plus

 今回の政変は、マハティールからアンワルへの政権禅譲を巡る連立与党の内紛をきっかけとして、与野党を跨いで政治地図を塗り替える騒動に発展したということである。2月21日の幹部会合でアンワルへの政権移譲の時期は11月のAPEC首脳会議の後、マハティールが決めることで落着していたが、マハティールを支持するアズミン(前政権の経済相、PKR所属)がアンワルの追い落としを狙って野党のBarisan NationalやPASを巻き込んだ新たな連立構想を仕掛け、これが表面化。これをアンワルなどが国民に対する裏切りだとして強く批判して対立が激化。この構想に距離を置き、騒動の鎮静を図るためと思われるが、マハティールは2月24日、突如として辞任を表明した。

 その後の首相の座を巡る多数派工作の過程で、マハティールは統一内閣という構想を掲げ与野党の支持を得てあわよくば政権を維持することを狙ったが、成らず。結局、ムヒディン(前政権の内相)がBersatuの大部分を率いてBarisan National とPASおよびPKRの脱党組と合流し、サラワクの地域政党の支持を得て下院の定数222の過半数を辛うじて確保したようであり、新たな連立政権を作ることに成功した。マハティールとアンワルは下野することになった。
(註)Barisan National:国民戦線=UMNO(統一マレー国民組織)が主導する政党連合 
   Pakatan Harapan:希望同盟=今回、ここからBersatuが抜けた
   Bersatu:マレーシア統一プリブミ党
   PKR:人民正義党=アンワルの政党
   PAS:全マレーシア・イスラム党=急進的なイスラム政党

 ムヒディンはナジブ政権で副首相だったが、国営投資ファンド1MDBの巨額汚職スキャンダル(ナジブはその中心にいた)の取り扱いを批判して2015年にナジブに解任された。その後、2016年にマハティールを助けてBersatu を組織。BersatuはアンワルのPKRと共にPakatan Harapanを組織して2018年選挙でナジブ政権の追い落としに成功した経緯がある。

 今回の政変は2018年に選挙でせっかく達成された改革と包摂的な政治という好ましい方向への転換を逆転させるものであり、挫折と言わざるを得まい。2018年の敗北をひっくり返すUMNOの勝利だと見ることができる。その裏面には植民地時代の歴史の重荷を垣間見ることも出来よう。すなわち、UNMOがマレー人優遇策を通じて確立してきた、多数派のイスラムのマレー人が社会的・政治的優越を与えられる一方、少数派の中国人が経済を牛耳る構図である。UMNOとPAS(イスラム系政党)が組んで人種的・宗教的緊張を煽るに至り、マハティール政権はマレー人の有権者の反撥に会って一連の補欠選挙に負けたという事実は見逃せない。

 ムヒディン政権の先行きは未だ不透明であるが、まずは上記の通り、政権の正統性の問題がある。マハティールが多くを達成し得た訳ではないが、ムヒディンはマレー人のナショナリストの由であるし、UMNOと組むのであるから、マレー人優先の古い体質の政治が全面に出ることが懸念されねばならない。UMNOと組むことで進行中のナジブの公判に影響が出ることすら注意を要しよう。

 2018年の選挙結果はマレーシア国民の民度が上昇したことを証明したようにも思えたが、次の選挙で国民が審判を下すことになるのであろう。尤も、それまでの間に何が起こるのか現時点では何とも言えない。

  
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