最終決断は習近平国家副主席か
崔は外交を統括する戴秉国国務委員の指示を得て動いていたが、中南海(政権中枢)で最終決定権を持っていたのは誰か――。
複数の中国筋は「次期トップの習近平国家副主席だ」と明かす。陳光誠という人権活動家にどう対応するかという国内問題なら、治安を統括する周永康党中央政法委書記が指揮するが、米大使館に入った時点で外交問題となり、習の管轄となった、という。さらに、周は、解任された薄熙来前重慶市党委書記の「後ろ盾」と認定され、「維穏(安定維持)」をバックにした絶大な発言権は低下していた。こうして中国共産党・政府も国際社会を意識した柔軟な解決策を模索することになった。
温家宝首相との面会要求した陳光誠
陳はロック大使らとの面会で、「自分たち一家に様々な虐待を加えた地である山東省には戻りたくない。法律を勉強して学業を完成させたい。家族との安全な将来がほしい」と訴えた。対中交渉の最前線に立ったキャンベルとロックは陳の希望を中国側に伝達。それが中国との交渉が1日で3回に及ぶこともあったという。
陳は頑なだった。5月1日、米側は大学教育などの問題も含めて中国側の回答を受け、陳に新たな提案を行った。しかし陳はこれを「受け入れられない」と拒否し、温家宝首相との面会を求めた。
「彼ら(中国側)はなぜ私の家族を北京に連れて来ることができないのか」。さらに陳は、中国側に対して「誠意を示す第一歩」として家族との面会を要求した。すると、中国側もこれを了解し、妻子が北京に到着後、陳が妻の袁偉静に電話して最終決断することになった。
陳は2日、袁偉静と2回電話した。
その後「どうしますか」と尋ねたロックらに対し、陳は数分間考え込んだ。「行きましょう」。陳は突然、興奮して立ち上がり、こう答えた。ロックは移動の車に乗る前にも「本当に大使館を離れていいのか」と再確認したが、「いい」と陳はうなずいた。北京市中心部の朝陽病院に移ることになり、キャンベルとロックも陳と一緒に病院に向かった。
これに先立ち、大使館は陳に携帯電話を渡した。大使館を後にした陳に対して最初に電話を掛けたのは、翌日からの米中戦略・経済対話に出席するため既に北京に到着していたクリントンだった。米国務省高官は、陳はクリントンに感謝の意を伝え、ブロークンイングリッシュで”I want to kiss you”と口にしたと明らかにした。
「強烈な不満」の裏で「6点合意」
陳がキャンベルとロックと共に大使館を後にし、病院に到着した直後の2日午後3時半すぎ、国営新華社通信はこう一報を伝えた。
「山東省沂南人陳光誠は4月下旬に米国大使館に入り、6日間停留した後自ら離れた」
この一報と同時に外務省の劉為民報道局参事官による談話も配信。「米国のやり方は中国の内政に対する干渉であり、受け入れることはできない」と述べ、「強烈な不満」を表明したのだ。
中国政府は、表向きは米側に抗議しながら、裏では敏感な人権問題でしっかりと手を握っていた。水面下で続けた米中交渉は、「6点合意」と呼ばれる了解事項という結果につながった。
(1)陳光誠は自由な公民で、中国国内で人道的に処遇する
(2)病院に入院中、米大使館員らは陳へのアクセスを維持する
(3)陳は入院中、妻子と一緒に滞在する
(4)陳は治療後、大学教育を受けるため山東省以外の安全な環境に移り住む