滕彪の指摘した「危険」は現実のものとして陳の周辺の人権派の弁護士や活動家の身に降り掛かっていた。
「人権の顔」影響力保持への期待
一方、陳光誠の友人のすべてが中国国内にとどまるのは危険だとして出国を勧めたわけではないことに触れておきたい。
古くから陳を知る北京の人権派弁護士は、病院にいる陳光誠に電話し、こう話し掛けた。
「もう少し遅く中国を離れてはどうか」。この弁護士は国内にとどまりたい陳の気持ちを察していた。陳の影響力を保持するためには彼が国内に滞在することが重要だし、出国すれば、その影響力はなくなってしまうと懸念していた。政府・公安当局の迫害に屈せず、闘い続けた陳は、中国人権問題の「顔」だった。人権派弁護士・活動家にとってその求心力を失う損失は計り知れなかったからだ。
胡錦濤発言、「米中新時代」を暗示
それでも陳は3日には既に出国を決意した。3日昼すぎ、筆者が電話し、「中国を離れる決意をしたのか」と尋ねると、「そうだ」と断言した。海外メディアは陳の意向を「米国亡命」と受け止めた。
北京・釣魚台迎賓館芳菲苑。国内に残るという前日の「米中合意」とは逆に、陳本人が米国出国の決意を固めた頃、戦略・経済対話が開幕し、胡錦濤国家主席はクリントン国務長官の前でこう訴えた。
「われわれの思想、政策、行動は時代と共に進まなければならない。新たな思考と確実な行動によって、歴史上の大国による対抗・衝突の伝統的論理を打ち破り、経済グローバル時代に発展する大国関係の新たな道筋を模索しなければならない」
人権問題という非常に複雑かつ解決困難な問題に直面し、まさに米中両政府による交渉が進行している最中、胡錦濤が発したこの前向きな発言は、確かに米中の新たな「大国」関係を暗示していた。この11日後の5月14日、亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」代表大会が東京で開幕。胡錦濤は同日、これに抗議し、北京を訪れた野田佳彦首相との間で予定された個別会談を拒否するわけだが、米中関係の信頼は日中関係とは比べられないほど深まっている表れとも言えた。
陳の意向を尊重した中国政府
ニューヨーク・タイムズによると、戦略対話2日目の5月4日、クリントンは戴秉国に対して「陳光誠はやはり米国に行くべきだ」と伝えた。「米中合意」に反する「裏切り」だととらえた中国外務次官・崔天凱は交渉相手のキャベルの方を指差し、「彼とはもう話したくない」と怒りを爆発させた。
しかしその数時間後、国営新華社通信は、外務省報道官・劉為民の談話を配信した。
「陳光誠がもし出国して留学したいならば、中国公民として他の公民と同様に、法に基づき正常なルートを通じ、関係部門が手続きを行うことができる」
陳が留学で出国することを容認したものだった。実は陳の救出を支援した北京の学者・郭玉閃は、前夜の3日午後11時頃から、陳に40分余りにわたり電話で話した結果として、インターネット上で陳光誠の声明を代理で発表した。そこで陳はこう語った。
「私はメディアに『政治亡命する』と話したことはない。米国で数カ月休養する。ニューヨーク大学からの招待もある。自由人として米国を旅行してしばらくしてから帰国したい」