6月30日の夜、中国政府により「香港国家安全維持法」が香港住民と国際世論の強い反対を無視して強引に香港に適用されることとなった。これは香港における「一国二制度」を実質的に終わらせるものである。
1997年の香港の中国への返還に先立ち、1984年中英共同声明が調印され、「従来の資本主義体制や生活様式を返還後50年間維持する」ことが明記された。
しかし、香港では行政長官が民主的に選出されないなど、必ずしも西側の民主主義体制ではなく、民主化を求める若者を中心とした市民の要求が時折高まり、中国政府は神経をとがらせていた。2014年には行政長官選挙の民主化を求め、若者らが道路を占拠するいわゆる雨傘運動が4か月にわたり行われ、2019年6月には香港の容疑者を裁判のため中国本土に送りうるという逃亡犯条例の改正案に反対する大規模デモが繰り広げられ、香港政府は11月に改正案を撤回している。習近平指導部は国家安全維持法の制定に動き、5月下旬の全人代で導入方針を承認してから全人代常務委を2度開催し、わずか1か月で審議を終えるという異例の速さで可決した。習近平指導部はこれまで香港に与えられてきた自治と自由は許せないと判断し、国内の厳密な専制体制を香港にも適用することとしたものである。
国家安全維持法は、「国家の分裂」「中央政府の転覆」「テロ活動」「外国勢力などと結託して国家の安全を脅かす」の4種の行為を禁止し、最高終身刑を科す、中国の治安当局の出先機関を香港に設置し、一部事件で直接管轄権を行使する、裁判官は香港行政長官が指名する、ことを内容としている。中国政府の権限が大幅に強化され、香港政府の頭越しの法執行が可能となる。これで「一国二制度」が有名無実化することは明らかであり、従来のような民主化要求デモはできないこととなった。習近平指導部は中英共同声明という国際約束を破っても、香港の自治を認めないという決断を下したものである。国家安全維持法の禁止する行為のうち、日本をはじめ各国が特に注意すべきは「外国勢力などと結託して国家の安全を脅かす」行為である。これは香港で例えば外国のメディアに接触する香港人に適用されるだけでなく、海外での違法行為にも適用され外国人も含まれる公算が大きいと見られている。
国家安全維持法の制定を急いだのは、7月18日から立候補の届け出が始まる9月の香港立法会(議会)選挙があるためと思われる。民主派グループは選挙で過半数を取るべく運動を始めていたと言われる。中国政府としてはこの選挙で民主派が躍進するのを阻止しようとしたとしても不思議ではない。
国家安全維持法の設定に対し、西側は強く反発した。
旧宗主国の英国は、ジョンソン首相が「国家安全維持法の施行は 中英共同声明に明確かつ深刻な違反であり、香港基本法に反する」と厳しく批判するとともに、「英国海外市民」の資格を持つ香港市民が英国に5年滞在でき就労も認めるという特例措置を発表、1年滞在すれば市民権を申請できるとした。約300万人が対象となる。
米国では、トランプ大統領が5月29日、関税や渡航の優遇措置を取り消すと発表した。ポンぺオ国務長官は7月1日、国家安全維持法はすべての国に対する侮辱であると述べ、トランプ大統領が命じた優遇措置の撤廃を進めると表明した。また、米議会は、香港の自治の侵害に関わった中国共産党員や金融機関への制裁に道を開く「香港自治法案」を7月1日に下院本会議で、2日には上院本会議でともに全会一致で可決した。トランプ大統領の署名を待って成立する。これに対し中国政府は強く反発し、米国に新たな制裁を科すと述べている。今回の動きにより米中の対決が一層強まるとともに、制裁合戦で米中の経済的デカップリングが一段と進むことになる。
EUは議長国ドイツのマース外相が7月1日、「非常に憂慮すべき事態で、最終的には中国とEUの関係に影響するだろう」と述べ、日本政府は6月30日菅官房長官と茂木外務大臣が「遺憾」の意を表明した。これは5月28日に政府が表明した「深く憂慮」や6月17日のG7の共同声明の「重大な懸念」より強いトーンである。
中国政府は、いくら国際社会が非難しても香港政策を変えることはないだろう。それでも、国際社会は中国政府が国際約束を踏みにじり強引なやり方で香港の自治と自由を奪ったことを糾弾し続けるべきである。
国家安全維持法の制定で香港の国際金融センターとしての地位が危うくなる可能性がある。中国は香港を窓口に世界から資金を取り込んで高度成長を可能にしたと言っても過言でない。今回の法の制定と米国の制裁で世界のマネーが香港から逃げていく可能性がある。外国企業が香港に居続けるかどうか再検討することにもなろう。しかし、習近平政権はそのようなリスクを承知の上で今回の措置に踏み切った。習近平政権は、そのようなリスクよりも香港を完全に中国の支配下に置くことを優先したのである。
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