中国の全国人民代表大会常務委員会で28日から香港に対する「国家安全維持法案」の審議が始まった。会期は30日までの3日間で、30日に可決され、香港返還の23周年記念日にあたる7月1日の施行という観測も広がっている。完全に頭越しで重要法案を北京によって進められた香港社会では失望や無力感が広がっている一方で、情勢を有利と見た親中派を中心に同法によるデモ参加者らへの「重罰」を求める強気な発言が目立ってきている。
国家安全法について、6月20日に国営通信新華社を通して公表された「草案」では、同法導入後、執行部門が香港警察や香港の司法省(律政司)に置かれることになるとされた。これは、一国二制度が保証した香港の司法制度の独立が無視されかねないという香港内外の懸念に応えての措置との見方もある。
しかし、同時に香港では、中国の出先機関「国家安全維持公署」が設けられ、「特定の状況」で管轄権を持つ、つまり、中国の公権力が香港で同法に基づく捜査や逮捕を行うことも明らかになった。この「特定の状況」の条件などは現時点では全く明らかにされていない。また国家安全法が摘発対象とする「国家分裂」「国家転覆」「テロ活動」「外国との結託」という4つの罪状についても定義ははっきりしていない。
民主派の中心勢力である民主党の胡志偉主席は、ラジオの番組で「内地(中国)では国家安全法の定義は相当に広く、教育、文化、宗教などに及んでおり、言葉の上で政府に反対しただけで政権への脅威を作り出したと言われかねない。中央が管轄権を留保するということは、中央が日常的に権力を用いかねず、一部の人にしか影響しないという親中派の説明は信じられない」と述べた。
こうした不透明感から、香港では、独立派で同法のターゲットになると目される人々が海外へ逃げ出す動きも始まっている。香港独立聯盟召集人の陳家駒氏は、28日にフェイスブックですでに香港を離れたことを明らかにし、「私の脱出は敗北を認めたことを意味しない」「香港人は無駄に犠牲になってはならない。未来の香港は皆さんを必要としている」と述べて残った独立派の人々にも香港脱出を呼びかけ、海外での独立派による国際戦線の拡大を目指すことを語った。陳家駒氏はヨーロッパ方面に脱出したと香港メディアは伝えている。
政治団体・デモシストの活動家で日本でも知名度の高い周庭(アグネス・チョウ)さんも28日のツイッターで「香港で自由や民主主義のために戦う人たちは、自由や命を失うことを考えないといけないということが、本当に悲しい。私も、たくさんの夢を持っているのに、こんな不自由で不公平な社会で生き、夢を語る資格すらないのか。これからの私は、どうなるのか……」と不安な心境を綴っている。
香港人にとって特に不満をかきたてる要因は、今回、香港において一切の手順を踏まないまま、5月中旬の国家安全法導入の発表から1カ月あまりで、香港社会の命運を左右するような重要法案が、自分たちに覆いかぶさってくることである。
香港の法学者の張達明氏は、シンポジウムに出席して「香港版国家安全法の制定プロセスはブラックボックスで、草案が出たと思えば、すぐに可決されてしまう」と批判した。民主派の立法会議員の葉建源氏は「香港人がどのような形で意見を表明できるのかわからない。数日後に可決される重要法案なのに、香港人はその草案の条文すら見たことがない」と嘆き、同じく民主派の公民党立法会議員の陳淑荘氏は「国家安全法は香港の一国二制度を踏みにじり、死においやるものだ」と述べた。
ロイター通信が香港でおよそ1000人を対象に6月中旬に行った世論調査では、57%が国家安全法に反対だとしており、賛成の34%を大きく上回った。香港では、全人口の3~4割が親中派だと言われているが、親中派が賛成し、その他の人々が反対するということで社会が完全に分断されていることを示している。
全人代常務委員会が始まった28日にも香港では数百人が参加する無許可のデモが行われたが、民主派の区議会議員2人を含めたおよそ50人が拘束されたと香港メディアは伝えている。7月1日に民主派が申請した国家安全法反対のためのデモも、警察は混乱の可能性を理由に実施を認めなかった。また、香港政府で返還後にナンバー2を務め、「香港の良心」と呼ばれてきた陳方安生(アンソン・チャン)氏は政界からの引退を表明した。80歳になる高齢を主な理由としているが、香港社会には微妙な波紋を広げている。