野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2020年3月27日

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野嶋 剛 (のじま・つよし)

ジャーナリスト

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

 ある日、米オレゴン州に住む一人の女性が、スーパーで買ったハロウィンの玩具の中から、折り畳まれたしわくちゃの手紙を見つけた。手紙は、米国からおよそ1万キロも離れた中国・瀋陽から送られていた。反体制派などに過酷な「再教育」を行う施設として悪名高い「馬三家労働教養所」(以下、馬三家)に収監されていた孫毅(スン・イ)という男性が、いつか誰かに届くことを願いつつ、監視の目を盗んでベッドのなかでつづった告発の手紙だった。

孫毅さん©2018 Flying Cloud Productions, Inc.

 孫毅は、もともとペトロチャイナ系の油田探査関係の企業で働くエリートエンジニアで、1997年、気功を学ぶ中国の団体・法輪功のメンバーになった。1999年、江沢民指導部は法輪功を「邪教」として禁止。孫毅は、突然の弾圧に対して抵抗していたが、2008年当局に拘束され、馬三家に送られた。

実物の手紙

 当時、法輪功の多くのメンバーが労働教養所に収監され、厳しい取り調べや拷問を受けたと言われ、孫毅もその一人だった。苦しい日々のなかで、孫毅は、馬三家で米国向けの輸出品となる玩具を作っていることを知る。孫毅は、発見されれば厳罰に処されるリスクを覚悟で、馬三家の実態を告発する英語の手紙を玩具のなかに忍ばせる決意をした。

 何通も送った手紙の一通をたまたま米国人女性が受け取り、地元メディアで報じられ、CNNやNBC、ワシントンポストやニューヨークタイムズなどの大手メディアも追いかけた。労働教養制度は司法手続きなく、反体制派などを1年から3年の長期にわたって収監でき、かねてから「手続きが不透明」「実態がわからない」などの理由で事実上の強制収容所として国際的な批判が集まっていたが、孫毅の告発レターの反響もあって2013年に廃止された。ただ、廃止後も中国では同様の目的を持つ施設が存続しているとの情報もある。

 その孫毅の告発から、海外逃亡に到るまでの日々を描き出したのが本作「馬三家からの手紙」である。2018月にNHK「BS世界のドキュメンタリー」で放送されると大きな反響を呼んだ。映画はテレビ版(40分版)から大幅に内容を増やした完全版だ。作品は世界中で上映され、いくつもの賞を受賞している。

 監督のレオン・リーは、中国系カナダ人でこれまでも臓器売買をテーマにした『人狩り』など中国の人権侵害を扱った作品をいくつも発表している。

 来日したリー監督によれば、米国での報道を見て、孫毅を探そうとしたが難航したという。3年かけて連絡が取れたとき孫毅は釈放されていた。映像化に孫毅は同意したものの、中国の人権問題を批判する作品を発表していたリー監督は中国に入国できない。2人はスカイプで連絡を取り合い、リー監督は孫毅に撮影方法を伝授しながら1年間にわたって二人三脚での撮影を続けた。

 映画は3つのパーツに分かれる。一つは、孫毅とその協力者が中国で撮影したシーン。もう一つは労働教養所の生活シーンで孫毅自らが下絵を描いたというアニメーションを用いている。そして最後が、インドネシア・ジャカルタに亡命したあとのことだ。

©2018 Flying Cloud Productions, Inc.

 リー監督によれば、孫毅との撮影方法を議論しているなかで、こんなことがあったという。

 「孫毅は子供のことから漫画が好きで、暇があれば、ノートの余白に絵を描いていたそうです。馬三家から釈放されたとき、忘れてはいけないと思い、覚えていることはスケッチして残していました。私は、映像がない労働教養所の状況を作品でどう処理するか悩んでいたのです。ある日、孫毅とのスカイプ通話で『スケッチがある』と言い出したのです。大変驚きました。スケッチはとてもクオリティが高く、それを元にアニメを作りました」

 そのほかの中国内での撮影はすべて孫毅とその友人が行なった。つまり、映像の多くが、主人公である孫毅の撮影とスケッチをもとにしており、主人公の視点で描かれる異例のドキュメンタリーとなった。

 「我々は最初、キャノンの一眼レフを孫毅に使ってもらいましたが、中国でカメラを持ち出して撮影するのは大変危険なので、アイフォンを使うようになり、撮影のテクニックを覚えてもらいました。誰かと通話しているふりをしながら撮影したり、携帯を胸に紐でぶらさげて撮影したりしました。そうすれば撮影していることに気づかれません。孫毅はエンジニアだけあって飲み込みが速く、あっという間に撮影技術を覚えてくれました」

 非常に重い告発の作品であると同時に、ドキュメンタリーとしても秀逸であるのは、孫毅と妻・付寧(フ・ニン)の夫婦の間の交流が豊かに描かれているからだ。リー監督は大学で、心理学を学んでおり、政治をテーマにする今回の作品のなかでもできるだけ「感情」を描くことを心がけたという。

 もともと仲睦まじい夫婦であったが、孫毅の信仰で家族にも大きなプレッシャーがかかり、夫の馬三家への収容を前に、付寧は思いを綴って離婚を求める手紙を孫毅に送った。ところが、その手紙を、孫毅は馬三家の苦しくつらい日々のなかで心の支えにしていた。

 離婚の手紙を、馬三家で孫毅は毎日、擦り切れるまで読み続けた。リー監督に対し、孫毅は「不思議だけれど、あの手紙は妻からのラブレターのように思えた」と語ったという。孫毅が馬三家から出たあと、2人は再び一緒に暮らし始める。

 「本作のなかで、孫毅と付寧が一緒に映画を観に行くシーンがあります。そこで孫毅はポテトフライを買って『ポテト食べるか』と聞いて、付寧は『うん』と言うのです。二人が若い時と同じように映画を観に行き、ポテトフライを食べる。一瞬の会話ですが、二人の絆の深さに感動させられました。この作品は中国で起きたことを、海外の人々に見てもらうことになる。観衆に自分には遠すぎる問題だと感じさせないように、感情の部分を描きたかったのです。孫毅と付寧の交流をみれば、二人の思いの深さに共感してくれるはずです」

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