『中国に拘束された香港の書店主、いま台湾へ』台湾の香港人たち(上)
そうしようと思っていたわけではない。気がついたら、膝を床に落とし、泣いていた。数百人はいる会場は、シンと静まりかえった。
「台湾を香港のようにしないで。お願いします。お願いします」
2019年4月7日、台湾の高雄。中国が台湾に求める統一の手段である「一国二制度」を拒否しようというイベントで台上に上がった香港人の鐘慧沁は、数百人の台湾の人々に向かって叫んでいた。
香港の言論状況について10分だけ話す予定だった。香港には家族も友人もいる。慎重な発言をしようと思っていたが、コントロールできなかった。口から飛び出した言葉に、友人たちは驚いた。彼らからは「香港にはもう戻れないね」と言われたが、気持ちは、晴れ晴れとしていたという。
「自分が言いたいことを思う存分に言えることが、こんなに大切だなんて、その時初めて気づかされた。だから後悔はしていない」
その姿がニュースで報じられると、台中に住んでいるという面識のない男性から電話があった。「感動しました。何か自分にできることはありませんか」。男性は演奏家だというので、自分の店にきてもらい、演奏会を開き、人を集めて、香港問題を語り合った。それから、鐘慧沁が台南郊外の永康に開いた「蝸篆居」という店は、台湾にいながら、香港を知りたい、香港を伝えたい人々が集い、語りあう拠点となった。
店では、鐘慧沁が台湾各地から探し求めた無農薬、有機の食材を使って、香港庶民料理の代表格である「煲仔」(香港式炊き込みご飯)を出す。日中はカフェとして食事やお茶を飲むお客さんで賑わい、夜には、香港関連の集会が毎週のように開かれる。壁には「香港と共に戦おう」「台湾は台湾人の台湾」「どこにも関係のない人などいない」などのポスターやチラシがベタベタと貼られている。
この店に、鐘慧沁は私との約束より10分ほど遅れて現れた。とても忙しそうだ。台湾の友人の結婚式に出ていたという。メガネに丸っこい顔。どこか台湾の蔡英文・総統も思わせる容貌だ。私とのインタビューが終わったら、総統選と同日に行われる立法委員選で台南から候補者を出している「台湾基進党」の選挙集会に参加するという。
基進党は台湾で台頭している若者中心の政党で、与党の民進党よりもさらに台湾独立志向が強く、中国の覇権主義を厳しく批判している。構成員は大半が20代の若者で、2014年のひまわり運動のあとに台頭した「天然独」世代の政党である。事前の予想以上に南部を中心に勢力を伸ばしており、今回の立法委員選挙で比例区の議席が取れる5%以上の得票まで、ギリギリのところまでこぎつけていると目されている。
「民進党もいいけれど、基進党は思い切ったことをやってくれそう。政治には多元的な声も必要。中国には対抗するという意味では民進党と同じだけれども、民進党が誤った政治をしないかチェックする政党が台湾には育ってほしい」
鐘慧沁が高雄で演説を行ったときは、まだ香港で逃亡犯条例改正への抗議行動は始まっていなかった。香港でも民主派を支持していたが、積極的に政治に関わっていたわけではない。そんな彼女が、いま台湾で、最も政治的にアクティブな女性の一人になっている。香港から台湾に移住した人は多いが、リスクを考えて政治的発言は控える人が多い。いったい、彼女の身に何が起きたのだろうか。