2024年12月22日(日)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2019年12月5日

 アニメといえばアジアでは完全に日本の独壇場であり、普段は日本のアニメを消費する側だと思われてきた台湾から、日本に輸出される本格的アニメ作品が現れた。11月末から全国上映が始まった『幸福路のチー』である。

 いまちょうど台湾では、4年に一度の総統選挙の投票日である1月11日に向けて、選挙運動が盛り上がっている。日本以上に元気のある台湾の民主主義がどうして成り立ったのか知りたい人は、この映画を見ることをオススメしたい。本作は「幸福路」という台湾に実在する場所を舞台に、チーという少女の人生にスポットをあてながら、実は、1980年代までの戒厳令時代から、民主主義の定着、2014年のひまわり運動まで、台湾社会の変化と成長そのものを描き出すという仕掛けになっているからだ。

 宋欣穎(ソン・インシン)監督は、1974年生まれ、京都大学で映画理論を学んだだけあって日本語も達者だ。本作のために、40人のアニメーターを集め、スタジオも作ってしまった。会ってみて思ったが、創作に一切妥協を許さない頑固さと、多くの人々を粘り強くまとめる柔軟さの両方を併せ持った個性の持ち主である。本作刊行と同時に、京都での生活を題材にした短編小説集『いつもひとりだった、京都での日々』(早川書房)の日本語版も日本で同時に出版された。

 本作が台湾で公開されたのは2017年だった。ほとんど本格的なアニメ作品がなかった台湾なので、最初の前評判が高かったとは言えなかったが、予想を超えるロングランとなり、世界各地の映画祭で出品作に選ばれ、東京アニメアワードフェスティバル長編コンペティション長編部門グランプリなど多数の映画賞を受賞した。

 本来は極めて台湾ローカルな物語である本作が、どうしてこれだけ世界で幅広評価を受けたのか、ソン監督は、こう振り返る。

 「誰もがこの映画を見た人は、自分の人生を思い起こしてしまうそうです。私が育ったのは台北郊外の新荘というところですが、ほかにも台湾にはあちこちに『幸福路』があります。いろんな人から、私たちの家の近くの幸福路ではないですかと尋ねられました。文化や歴史は違うはずなのに、外国人の観客からも、同じことを言われました」

 「幸福路」で育ったチーは、 両親や地域も期待するほどの優等生だったが、高校生のときに湧き上がった民主化運動に衝撃を受け、医学部の道を捨てて、学生運動に熱中する。だが、卒業後は仕事につけず、やっと探し当てた就職先のメディアでも、ひたすら原稿を書くだけの日々。台湾での生活に見切りをつけ、米国人に渡って結婚したが、可愛がってくれた祖母の死をきっかけに台湾に戻る。祖母との心の中で対話を重ねながら、自分の生い立ちや社会の変化を振り返り、「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」と自問する。

 物語は、ソン監督の歩んできた人生をモデルにしているが、創作の部分もある。ソン監督は「この年代の女性は、周囲の期待に応えようと生きてきて、なんでも望んだものは持っているようにみえて、あまり幸福ではないような心境に陥るのです。英語のタイトルは『オンハピネスロード』となっていますが、本当は『アンハピネスロード』、あるいは『ロード・トゥ・ハピネス』かもしれませんね」と笑った。

 自らの才能に限りがあること、周囲の期待を上回れなかったことを受け入れることほど残酷で、苦痛なことはない。そんな挫折も、大半の人が大なり小なり持つことだ。自分の才能の限界を知るところから人生が始まるということは多くの人々が深く共感するところであろう。だからこそ、チーの独白に感情移入することができるのかもしれない。

 本作の感動のエンディングを一層美しく彩っている主題歌「幸福路上」を歌うのは、台湾のトップ歌手の一人、蔡依林(ジョリン・ツァイ)だ。作品に感動して主題歌を引き受けた。チー役の声優はこれも台湾のトップ女優の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、チーのいとこ役は台湾を代表する映画監督、魏德聖(ウェイ・ダーシェン)である。無名の監督の初作品で、しかもアニメ作に対して、これだけの有力者がそろって協力したことは、本作の成功に大きなプラスとなった。いずれも本作の構想に触発されて応援団を買って出た人々だ。


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