2022年7月3日(日)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2020年1月9日

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野嶋 剛 (のじま・つよし)

ジャーナリスト

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

香港はもうダメかもしれない

 鐘慧沁が香港で生まれ育ち、名門・香港中文大学で宗教学を学んだ。卒業後は、出版社や大学で働いた。収入は悪くない。富裕とはいえないが、物価の高い香港でも、それなりに過不足なく暮らし、貯金もあった。ただ、自分の労働の対価として給料を単にもらって生きていくことが罪深く思え、自分でお店を開いて、有機農業で安全に作られた料理を出しながら農業を支えてみたい、という夢にとりつかれた。

 「ずっと悩んでいたけれど、雨傘運動のあとにやっと決心がついて、香港だと、そうした農業の担い手を探すことが難しいし、コストもかかるから、台湾にきてみようと思ったのよ」

 香港はもうダメかもしれない。雨傘運動での「敗北」が香港を離れる背中を押した。台湾各地を探しまわり、落ち着く先を台南に決めた。台南は伝統や文化を大切にしている古都だ。物価も台北などに比べて高くない。家を借り上げてお店にするのにちょうどいい物件も見つかった。

「拒絶一国両制」という看板の前で演説する鐘さん「自由時報HP」より

国民党の高雄市長に危機感を持つ

 この間、香港では、雨傘運動に関わった人々が次々と議会から不当に追い出され、選挙では立候補すらできなくなった。習近平は香港を訪問し、香港人を脅すような強硬な演説も行った。一方、台湾でも2018年11月、「中国と関係を改善し、お金持ちになろう」と呼びかける国民党の韓國瑜氏が高雄市長に当選するなど、台湾が次第に香港のようになりかねないという危機感が心にたまっていった。

 それが、跪いての懇求という行動へ、彼女を駆り立てたものだった。

 だが、それから2カ月後に起きた香港の抗議行動は、想像を超えた事態だった。警察による若者たちへの過剰な武器使用。中国は若者たちを「暴徒」と呼ぶが、どちらが暴徒なのかと問いたい、という。逮捕された女子たちがレイプされたとの告発も相次いでいる。野獣のように丸腰の若者たちに襲いかかる警察をみて、鐘慧沁は、映画『ロード・オブ・リングス』を思い出すのだという。

香港警察は、人の心を失っている

 「映画には半獣人たちがいて、大きな目が背後にあって、彼らは操られているのよね。いまの香港警察はそうした状態じゃないかと思うのよね。半獣人だけど人間の心は失ってしまっているのよ。私も香港でデモに参加したけれど、せいぜい催涙弾を打たれるかもしれない、という想像しかなかった。いまは立っているだけで殴りかかってきて、逮捕される。香港警察は英雄だって映画でいつも見せられてきたから信じられないけど、彼らはもう中国政府の傭兵のようになっていて、私たちの想像力では理解できない人たちになってしまったのよ」

 確かに、香港警察といえば、ジャッキー・チェンや、『インファナル・アフェア』などの映画を通して私たちにも親しみがあるが、社会正義のために自己犠牲を厭わない人々、というイメージが強い。市民から憎まれ、恐れられる今の香港警察とはかけ離れた形だ。

 「台湾を守りきれたら、香港にも希望がある。台湾を守りきれなかったら、香港はもうおしまい」

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