2024年2月21日(水)

Wedge REPORT

2020年8月22日

「前ガン状態」を貫き通す

 安倍首相自身、わずか1年で第1次政権を辞すとき、健康状態の悪化が理由であることをよく説明しなかったし、過去、政治家が国民をミスリードしたことは少なからずあった。 

 思い起こすのは「所得倍増」を掲げ、経済大国・日本の基礎を固めた故池田勇人首相だ。

 政権を担ってちょうど4年が過ぎた1964(昭和39)年7月、自民党総裁に3選された直後、ノドにガンがみつかった。

 当時はまだ、ガン告知は行われておらず、しかも病名を公表すれば、政局に大きな影響を与えるとあって、医師団が考え出した苦肉の策は、「放置すれば悪性になる〝前ガン状態〟という説明だった。

 記者会見で、国立がんセンター病院の久留勝院長(当時)は「組織検査の結果、乳頭腫という良性腫瘍であることがわかった。典型的な前ガン症状だ。ガンではないが、悪性化する場合もあるので十分な放射線治療を行う」と説明、「天下に大嘘をつき通した」(柳田邦男「ガン回廊の朝」、講談社、367-368頁)。「前ガン状態」は流行語にもなった。

 池田首相は東京五輪が閉幕した翌日の10月25日に辞意を表明。一時回復して退院したが再発、翌年8月に亡くなった。

 本当の病名が発表されたのは死去した日の朝になってからだった。 

 ちなみに、池田氏の後任に選ばれたのが沖縄返還を実現した佐藤栄作氏だ。

心筋梗塞を「一過性の不正脈」

 1980(昭和55)年6月、初めての衆参同日選挙のさ中に亡くなった大平正芳首相のケースも忘れられない。

 その前年秋の総選挙で大敗、退陣を求める声が強まり、80年5月、一部自民党議員の欠席もあって、内閣不信任案が成立してしまう。大平氏は衆院を解散、同時期に予定されていた総選挙とのダブル選を決断する。

 参院選が公示された5月30日の遊説中に、首相は体調を崩した。午後の横浜市内での遊説では選挙カーからすべり落ちそうになるほど。さすがに異変を感じた記者、カメラマンもいたが、首相は苦しい中で時間を延長して弁舌をふるった。

 もっとも首相夫人は夫の異変に気がついていたようで、首相の遊説中に、すでに主治医に対して、夜になったら往診をしてほしいと依頼していたという(三輪和雄「病める政治家たち 病気と政治家と権力」、文芸春秋社、246-247頁)。

 世田谷の首相私邸で、簡易心電図を用いて診察した主治医は顔を曇らせた。単なる不整脈ではなく、深刻な所見がみられたからだ。虎の門病院の医師団に連絡がとられ、新聞の締め切り時刻を待って入院する手はずが整えられた。

 深刻な心臓疾患と発表すれば政局に大きな衝撃を与える。過労による一過性の不整脈があるため大事をとって入院する―と外部に説明することに決まった(同249頁)。

 異変を聞きつけて未明の病院に集まった記者団に対し、首相の女婿、森田一秘書官は、打ち合わせ通りの説明をし、翌朝、伊藤正義官房長官の記者会見は「嘘でかためた談話だった」(同、251頁)。

 メディアも国民も本当のことを知らされないまま、大平首相は6月12日未明に容態が急変、選挙結果を見ずして亡くなった。

 首相の地元、旧香川2区からは森田が急遽出馬、弔い合戦の初陣を飾った。

その後は運輸大臣などを歴任して活躍した。

 同日選は22日に投票、自民党は衆参両院で大勝。後任の首相指名をうけたのが、大平氏の盟友の1人、鈴木善幸氏だ。

夫人に決裁させた大統領も

 大統領の健康状態が細大もらさず公表され、政治家の病気隠しなどあり得ぬはずのアメリカにも有名な話がある。

 28代大統領、第1次大戦後に国際連盟創設を提唱したウッドロー・ウィルソン(民主党、在任1913-1921年)は、退任まで1年余りを残した1919年10月、卒中の発作に見舞われた。左半身不随などの重い後遺症が残ったが、周囲はこの事実を隠し、閣僚らにも面会を禁じ、重要案件の決裁などは夫人らがひそかに行っていたといわれる。

 いまなら考えられないことであり、合衆国憲法修正25条で、大統領権限継承順位が明文化される契機になったという。

沈黙は憶測に拍車かける

 安倍首相の健康状態に話を戻すと、詳しい説明を待つ国民は少なくあるまい。興味本位で他人の健康状態をのぞくというのではなく、時あたかも新型コロナウィルスが猛威を振るっている時期であり、首相に元気で対策の指揮を執ってもらいたいというのは国民共通の思いだ。沈黙はさらに憶測を生む。

 「問題ない」と周囲が繰り返すだけではなく、首相自身か、しかるべき政府高官の口から明快な説明をして、国民を安心、納得させるべきだろう。

 指導者の重病説が流れても何の説明もしない北朝鮮とは違う民主主義の国なのだから。

  
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