2024年12月7日(土)

WEDGE REPORT

2020年9月17日

(Belus/gettyimages)

 菅新政権は外交の大きな懸案、北方領土交渉をめぐって、「2島返還」という前内閣の方針を変更するのだろうか。

 菅首相は自民党総裁選に勝利した直後の記者会見で「4島の帰属を解決して交渉を進めたい」と述べ、軌道修正の意向をうかがわせた。

 安倍前政権は、戦後一貫した日本の要求を「4島返還」から「2島返還」へと大きく転換したにもかかわらず、ロシア側は拒否の姿勢を崩さず、早期返還の狙いは外れた格好になっている。

 安倍首相は、方針変更を見直すことなく退陣したが、新政権の登場は、「4島返還」という本来の正当な要求に立ち返る絶好の機会だろう。

「4島の帰属解決して平和条約を」

 8月14日夕、総裁選勝利の興奮が残るなかで行われた記者会見。勝因、国政運営への抱負、党・閣僚人事、衆院解散の見通しなどの後、最後の質問が日露関係だった。

 「安倍首相は2島返還への方針転換した。新総裁は、4島の帰属問題を解決して平和条約交渉に臨むと主張としてきたが」という質問に対する菅氏の答えは「以前から言っているように、4島の帰属問題を解決して交渉を進めるということ」だった。

 その一方で菅氏は「外交は総合力だ。あらゆる手段を駆使して交渉を進めたい」とも述べ、プーチン大統領と信頼関係を維持してきた安倍前首相に相談する意向も示した。

 菅氏自身、どの程度準備したうえでの答えだったか判然としないが、言葉通りに受け止めると、2島返還の方針を再転換して4島の返還に立ち返る―と解釈することも可能だろう。

 首相に就任した16日夜の記者会見は、わずか30分で終了、この問題をめぐる質問はなかった。

 一方、再任された茂木外相は16日深夜、初閣議後の記者会見で、「1956年の共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速するという方向性がでている。この基本方針に沿って取り組んでいく」と述べ、菅首相とのニュアンスの違いをのぞかせた。 

大失策だった「2島返還」

 7年8カ月の長期に及んだ第2次安倍政権にとって、北方領土問題における方針転換は、厳しい言葉を用いれば最大の政策ミスだったといって過言ではない。

 安倍首相は2018年秋、シンガポールでロシアのプーチン大統領と会談した際、領土交渉について、1956(昭和31)年の「日ソ共同宣言」を基礎とすることで合意した。

 「共同宣言」には、両国の戦争状態の終結、国交正常化と歯舞、色丹両島の日本への「引き渡し」などが約されているが、国後、択捉両島の名は盛り込まれていない。

 この宣言を基礎に交渉を進めるということは、国後、択捉は断念し、明記された2島の返還だけをめざすことを意味する。

 安倍政権としては、残り2島については、返還よりも日露共同経済活動などを通じて〝実利〟を得た方がむしろ得策ーと計算していたようだ。

 しかし、周知のように、日本は共同宣言の存在にかかわらず、戦後一貫して4島の返還を求めることを国是としてきた。それらの島々は、歴史的経緯に照らして日本固有の領土であることは疑いがないからだ。

 旧ソ連は第2次大戦の末期、日ソ中立条約を無視して日本に参戦。8月15日の終戦の後、同月19日から9月5日までの間、どさくさに紛れて、4島に侵攻、今日まで不法占拠を続けている。 

 「共同宣言」に国後、択捉の島名を盛り込むことができなかったのは痛恨事だったが、国連加盟を実現するためにソ連との国交回復を急ぐ必要があったからで、交渉妥結への苦渋の決断だった。

 その一方で日本は、「宣言」に付随して交換された公文に「領土問題を含む平和条約交渉を継続される」という表現を明記することに成功した。歯舞、色丹は、すでに日本への「引き渡し」が決まっているのだから、それ以外の「領土問題」といえば、国後、択捉以外にあり得ない。

 日本はそれをよりどころに、「領土問題は解決済み」と不公正、頑迷な主張を繰り返す旧ソ連、ロシア相手に長い困難な交渉を続けた。ソ連崩壊後の1993(平成5)年には、4島を明記してその帰属交渉を継続するという「東京宣言」(細川護熙首相とロシアのエリツィン大統領=いずれも当時=による)の発表にこぎつけた。


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